朴先生の日本語レッスン――新しい「普通」をめざして

第9回

電話って当時あったのでしょうか・・・?(前編)

2024.10.03更新

 木漏れ日に癒される、ある春の日曜日の午後に起きた出来事でした。
 僕は友だちC君と、Bという街にある喫茶店で午後4時に会うことになりました。Aという街に住んでいる僕は、3時40分ごろ、家の近くにあるバス停で、B街行きのバスを待っていました。バスに乗ると、喫茶店まではだいたい10分もかからないので、余裕をもっていけると思っていました。
 ところが、そのとき、道路を挟んだ向かい側に、信号を待っている母の姿を見かけました。よく見たら、母の様子がちょっとおかしい。 体調の悪そうな顔色をしていて、立っているだけで精一杯ではありませんか。母の様子を心配した僕は、信号が変わるや否や横断歩道をあたふたと渡って、母に近づきました。

僕:お母さんどうしたの? 顔色すごいわるいんだけど・・・
母:朝からちょっと体がだるくてね。でもさっきかぜ薬飲んだから大丈夫よ。
僕:いや。お母さん、薬だけだと安心できないから、僕と一緒に病院に行きましょう。医者に診てもらった方がいいよ。

 こうやって僕は、近くにある町の病院に母を連れて行くことになりました。

 で、友だちとの約束はどうするの? お母さんを病院に連れていくと、約束の時間に間に合わないでしょう? ・・・そんな声が聞こえてきそうですね。
 もちろんそうです。母を病院に連れていくことになったら、約束時間にだいぶ遅れるかもしれないし、へたすると、 友だちに待ちぼうけを食わせるかもしれません。
 さて、ここで問題です。これから会うことになっている友だちに、僕はどう連絡すればいいでしょうか? 但し、この出来事が起きたのは1986年(僕の大学1年生の時)の4月のある日のことです。
 先日、何人かの友人や仕事仲間に、この問題を出してみました。いくつかの回答を紹介したいと思います。

1 Nさん
 とりあえずすぐ電話する。
 ですかね〜。
 電話がつながらなかったら、LINEかショートメッセージをする。
 と書きながら、86年って!!
 電話って当時あったのでしょうか・・・?
 え〜〜〜困ったな・・・
 途方にくれています。

2  Sさん(女性)
 私が思いついたのは「伝言」です。
 バス停にB街行きのバスが来たら、一瞬乗り込んで、運転手と乗客みんなに協力を依頼します。「B街の○○という喫茶店で友人と約束しているのですが、母が急病なので行けなくなりました。誰か私の代わりに、友人に、キャンセルさせてくれと伝言してくれないでしょうか」と。おそらく、協力してくれる人が出てくるのではないでしょうか。そして私自身はバスには乗らず、そのまま母を連れて病院に行きます。

3  Tさん
 携帯もポケベルもない時代は私も馴染み深いです☺
 家の近くのバス停で母を見かけたことから考えてみました。
母と一緒に家に帰り、家から約束場所の喫茶店に電話をかけて友達と待ち合わせをしていることを伝え、その友達に遅れる旨伝えてもらう、でしょうか。
 喫茶店の人に伝言を頼みます。

4  Sさん(男性)
 こういう場合は、待ち合わせの喫茶店が決まっているので、その喫茶店に公衆電話から電話して伝言を伝えます。喫茶店が行きつけのところであれば、電話番号がわかりますし、はじめて行くところであれば、電話帳か電話番号案内でその喫茶店の電話番号を調べてかけます。という感じでどうでしょうか。
 どうしてもその時間に会う必要がある(電話では済まない)急ぎの用件ではなくて、公衆電話から店に電話できるのだとしたら、事情をそのまま話して、その日に会うのはキャンセルする。ですね。

 みなさん、どうですか。それぞれなかなか面白い回答をしてくれたと思います。
 今回のアンケートに回答してくれた方は、たまたまみんな日本人だったのですが、僕が大学で教えていたころにとったアンケートと、 最近、釜山のとある高校で行った『朴先生、ヴィゴツキー心理学とスマホはどういう関係があるのですか』という講義でのアンケートでは、1番のNさんの回答と似たようなものがもっとも多かったです。つまり、ほとんどの回答者が「友達にカカオトーク(日本のラインにあたる)かショートメッセージを送る」と答えてくれました。
 こういう回答に対して「1986年ですから、その時代はスマホどころか、携帯もなかったのです」と僕が付け加えて言うと、みんな途方に暮れた挙句、「しょうがないから、その日は友達に待ちぼうけを食わせて、後日会って謝る」とか、「思考停止になってしまい、何にも思い出せない」とか、「友達に電報を打つ」という回答もしたりしました(1950年代か! と思わずツッコみそうになりました)。

 その一方で、僕のように当時をリアルタイムで生きていた人間は、何のためらいもなく3や4の回答者のようにふるまうはずだと思います。あの時代はそういう問題解決の仕方が「普通」だったのです。(ついでに言えば、2番の(Sさん、女性)が試みた問題解決の仕方は「新しい普通を増やす」というこの連載の趣旨にふさわしいものではないかと思います。)

 さて、今回は、冒頭にご紹介した僕の経験と、アンケートの回答に基づいて「ヴィゴツキー心理学」について嚙み砕いていきたいと思います。そして、その「ヴィゴツキー心理学」が皆さんの「街場の心理学(folk psychology)」とどうずれているのかを吟味していただきたいです。
 僕の経験が教えるところでは、ある概念が「何を意味するのか」を、その概念をまったく知らない人に教えようとするとき、ただ厳密に定義してみたり、別の言葉に言い換えてみたりすることは、ほとんど効果がありません。実際に、心理学の素人に向かって、ヴィゴツキー心理学の 「キー概念」である「道具に媒介された心(tool-mediated mind)」や「歴史的な子ども(Historical Child)」や「二重刺激法(double stimulus)」などの意味するところを説明するとき、たとえば僕も著者として参加させてもらっている『質的心理学辞典』(新曜社、2018)の解説を読み上げただけでは、理解させることはできないでしょう。
 ある学術的概念を「持っていない」人間に、その概念を「わかってもらう」ためには、「お話を一つ」しなければならない。簡単な概念であれば、短い「お話」で意は通じるでしょう。概念の難度が増すにつれて、「お話」は長くなり、その分ロジックがねじくれたり、登場人物の数は増えたりします。しかし、「お話」の中に生きられない概念は、結局のところ現実にコミットすることもできないと思うのです。
 ヴィゴツキー心理学だけでなく、すぐれた学知はかならず、それぞれが創始者の「夢の刻印」をとどめていると思います。だから、それにアプローチし、同時に多くの人に知ってもらうためには「お話を一つ」しなければならないのです。
「お話」の中では不可思議な出来事が語られる。私たちはそれを記憶します。それが何を意味するのか、教訓は何か、それは聞いただけではわからないし、さしあたってはどうでもいいことだと思います。だから、僕がいくら「ヴィゴツキー心理学」について分かりやすく説明するつもりでいても、みんなにすぐわかってもらえるとは思いません。
 けれども、その「お話」が喚起した鮮烈な図像や、響きわたる音響や、熱や、香りや、肌触りなどは、はっきりと記憶されて、身体の奥底に沈殿すると思います。そうやって沈殿した「お話」は私たちの中で長い時間をかけて、ゆっくり「発酵」します。そして、そこからある日「ぽこっ」と泡が出てきて、意識の表層までたどりついたとき、私たちは不意に「あ、わかった。そういうことね!」と膝を叩くことになるのです。「お話の効用」はそのようなものだと思います。
 それから、ヴィゴツキー心理学を2024年に「復元」するためには、読み手の生活体験や身体実感が絶対に必要なのではないでしょうか。というのも、ヴィゴツキー(1896-1934)という生身の人の生活体験、身体実感を滋養として生まれてきた心理学理論は、 生身の人間を離れて、抽象的なものとして綱領化・教条化したときに、形骸化し空文化してしまいがちだからです。それを蘇生させようとする運動は、つねに「読み手自身の生活実感や身体実感に基づく読み直し」から始めないといけないと思います。
 僕のヴィゴツキー読解はヴィゴツキー理論の綱領化・教条化に逆らって、僕自身の生活実感・身体実感に基づいてのヴィゴツキーを読み直そうとする試みです。
 メインストリームの心理学は、人の行為遂行能力を「個人の皮膚の内側」にあるものとして想定してきました。面白いことに多くの人は、このメインストリームの心理学の「能力観」に無意識的に慣れ親しんでいるのではないでしょうか。いわゆる「普通の感覚」です。ですから、今回のエッセイでは、その「普通の感覚」をちょっとだけでもずらすことを目指そうとしています。
 ロシアの心理学者ヴィゴツキーは、人の行為遂行能力を「人と人工物のセット」として捉えていました。人と道具がセットになって動いている姿をヴィゴツキーは「媒介された行為(tool-mediated action)」と呼んでいます。「媒介された行為」とは、われわれ人間の基本的なあり方を示そうとして、ヴィゴツキーが創り上げたユニークな概念ですが、それは裸の、なまの、自然な、つまり直接的な行為ではなくて、道具と記号によって「人為的・文化的・社会的」に媒介された行為だということです。人間は道具と記号を使用して環境を独特なものに仕立ててきた、と同時に、その独特な環境の中でますます人間化してきた。人間はそのような歴史的な存在であるというのがヴィゴツキーの人間観であり、道具観でもあります。

たとえば、私たちの生まれもった目や指先の皮膚には、閉じた書物の特定の箇所を見分け、素早く開くのに十分な性能はない。もちろんどんなことにも熟達はありうる。しかし熟練を待たずとも、「ページの端を折る」工夫や「アンダーラインを引く」工夫、また「しおり」「付箋」という人工物を用いれば、誰でもその工夫を手にした途端に、覚えておきたい頁を特定することができるようになる。(有元典文・岡部大介『デザインド・リアリティ』、北樹出版、2008年、16~17頁)

 こんな小さな工夫で、しおりは記憶能力を人為的に方向づけます。しおりの代わりにページを折ってもよいし、書き込みをしてもよい。私たちの記憶という行為はさまざまな人工物によってすでに囲まれています。
 人は外界と直接的に対面するのではなく、しおりなどの人工物を発明することにより絶えず世界を作り変えてきていると言えるでしょう。そうすることによって外界はますます人間的な意味に満ちたところになっていきます。
 内田樹先生は「運転するドライバー」という論考で、「ヴィゴツキー心理学の要はこれぞ!」という説明をヴィゴツキー心理学について一言も言わずに見事に展開しています(と思われます。ご本人に聞いてないので自信がないのですが、内田先生はヴィゴツキーを念頭において次の文書を書いたわけではないと思います)。

気持ちよく車を走らせているときに、「私は今自動車の動力を利用して高速で空間移動をしている」などというふうに考えている人はいない。 人と車が一体化した複素体をわざわざ切り分けて、「ここからこちらが人間で、ここから向こうがメカニズム」と境界線を意識化することによって私たちが得るものは何もないからである。むしろ、そのように、人とメカニズムの差異や対立を意識すればするほど、運転操作はぎごちないものになるだろう。(内田樹『私の身体は頭がいい』文春文庫、2007年、276頁)

 車と一体化したドライバーは、ヴィゴツキー的に言うと、「道具に媒介された行為を体現する社会文化的サイボーグ」だと言えますね。しかし、こういう人間のあり方についての説明は我々の「普通の感覚」からかなりずれているのではないでしょうか。ここでいう、「普通の感覚」は個人という主体が「実体」としてまずあって、車という対象を操作するというイメージですね。社会・文化・歴史の地平で広がる道具から切り離された「孤立した主体」と言い換えてもいいと思います。こういったような主体に対する考え方は、いまだに多くの人の意識に根強く食い込んでいると思います。
 ベイトソンはヴィゴツキーと同様に「主体」と「道具」の関係についての「普通」という名の因習的な思考に慣らされた我々の思考回路を解きほぐしてくれると思います。

 木こりが、斧で木を切っている場面を想定する。斧のそれぞれの一打は、前回斧が木につけた切り目によって制御されている。この自己修正的――すなわち精神的――プロセスは、木-目-脳-斧-打-木のシステム船体によってもたされるのであり、このトータルなシステムこそが、(超越的ではなく内在的な)精神の特性を持つのである。
 ところで、西洋の人間は一般に、木が倒れるシークエンスを、このようなものと見ない。「自分が木を切った(I cut down the tree)」というのである。そればかりか、「自己」という独立した行為者があって、それが独立した「対象」に、独立した「目的」を持った行為をなすのだと信じさえする。
 われわれの日常の言葉のなかでは、人称代名詞が登場し、それとともに精神が持ち込まれる。しかもその精神は、人間の内部に囲い込まれてしまっている。(Bateson, 1972, 323~324頁)(1)

 ヴィゴツキーとベイトソンの観点からすると、道具あるいは人工物を人間の行為から分離したものとしてみることは明らかに人間の人間性をとらえそこなうことになるということです。
 北米の代表的なヴィゴツキーアンの一人であるワーチ(Wertsch)は、「主体」と「道具」の分離不可能性を描くための「媒介された行為(tool-mediated action)」、また、その行為の担い手の適切な描写として、「媒介-手段を-用いて-行為している-人(びと)(person(s)-acting-with-mediational-means)」というユニークな概念を使っています(Wertsch, 1991, 140頁)(2)
 話を僕の経験した出来事に戻しましょう。
「ポケットベル」どころか、連絡をとるために「固定電話」と「公衆電話」という人工物しかなかった時代を生きていた人間は、誰しも一旦外に出ると、誰とも連絡が取れないということを熟知の上で行動を取っていました。(・・・)

(後編につづく)


(1) Bateson, G. (1972). Steps to an Ecology of Mind: A Revolutionary Approach to Man's Understanding of Himself. Northvale, New Jersey London.
(2)Wertsch, J. (1991). Voices of the Mind: Sociocultural Approach to Mediated Action. Harvard University Press.

朴東燮

朴東燮
(ばく・どんそっぷ)

1968年釜山生まれ。釜山大学教育学科卒業 (文学士)。釜山大学教育心理学科卒業 (教育学修士)。 筑波大学総合科学研究科卒業(哲学博士)。現在独立研究者。学問間の境界と、地域間の境界、そして年齢間の境界を、たまには休みながら移動する「移動研究所」 所長。

主な著書(韓国語)に『レプ・ヴィゴツキー(歴史・接触・復元)』『ハロルド・ガ ーフィンケル(自明性・複雑性・一理性の解剖学)』『成熟、レヴィナスとの時間』『動詞として生きる』『会話分析: 人々の方法の分析』。
内田樹著『街場の教育論』、森田真生著『数学の贈り物』、三島邦弘著『ここだけのごあいさつ』(以上、ミシマ社)などの韓国語版翻訳者でもある。

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