第3回
前田エマ×北野新太 将棋に恋をした。(1)
2018.08.28更新
2017年12月に発刊された『等身の棋士』。静かに燃える棋士たちの世界が著者の北野新太さんによる熱い文章で綴られています。この一冊に、ミシマ社に来て間もない新人ノザキは衝撃を受けたのでした。
そして、この本が刊行された当初から、いつかはこのお二人の対談を、と願い続けて半年。念願の企画が今回ついに実現しました。北野さんのお相手はモデルの前田エマさんです。モデル、エッセイ、写真、ペインティング、朗読、ナレーションなど多岐にわたって活躍される前田さん。ファッションやアートに関する連載や執筆も多くされていますが、彼女が夢中になっているもうひとつのもの、それが将棋です。
対談中、記者をしている北野さんでさえ「よくそこまで知っていますね!」という発言を多発するほど、将棋のこと、棋士のことを楽しそうに話す前田さんですが、将棋を好きになったのは、ここ1年半くらいのことだそう。それまでは家族が指していても少しも興味がなかったそうです。そんな前田さんが将棋にハマったきっかけとは? 知れば知るほど夢中になってしまう将棋の魅力とは? 3日にわたってお届けします。
(聞き手・写真・構成:野崎敬乃)
突然、私は恋をした。
将棋の時間、早く終わらないかな
前田 私、超初心者の「観る将」(編集部註:将棋を指すのではなく、観て楽しむ人のこと)なので、今日はとても緊張しています・・・。ミーハーなトークになりそうなのですが、将棋の話を家族以外とするのはほぼ初めてのことなので、とても楽しみにしていました。
私の父と弟が将棋好きだったんです。父と一緒に暮らしたことはないのですが、父が家に遊びに来ると、弟や母と将棋を指していました。でも私は全く興味がなかったので、いつも「早く終わらないかな〜。はやくパパと遊びたいな〜」とちょっと不機嫌になっていました。将棋に父を取られてしまうような感覚で「将棋=敵」じゃないですけど。日曜の朝も、父、母、弟は将棋のテレビ番組を見ていたので「なんでみんな、お経みたいなものをいつも楽しそうに見ているのだろう」と思ってました。
北野 はははは(笑)
前田 それと、私は数学的なものが本当に全然できなくて。
北野 もしや九九ができないとか?
前田 いまだに九九が言えないんです。漢字も全然覚えられない。将棋は駒に漢字が書いてあるし、数学的なものだし、私には一生縁のないものだと信じて疑わなかった。漫画が好きなので『3月のライオン』(羽海野チカ、白泉社)は読んでいましたけれど。
あの・・・御法度だと思うのですが、私、スポーツ漫画とかバトル漫画とか、試合や対決のシーンを飛ばして読んでしまうことが多くて・・・。
北野 そうなんですか?(笑)
前田 だから対局シーンも、ちゃんと読んでいなかったんです。パラパラって(笑)
北野 ということは・・・先崎学先生の将棋コラムのページも飛ばして・・・?(編集部註:漫画『3月のライオン』では、将棋の監修をしている先崎学九段がチャプターごとにコラムを執筆している)
前田 昔は飛ばして読んでいました。だからこの漫画の何がすごいのか全然理解できてないくせに「この漫画は面白い!」と周りに薦めていました。『3月のライオン』は将棋と絡んでいない部分の人間ドラマだけでも魅力的な作品ですから、許して欲しいです(笑)。
そんなとき、7歳離れた弟が「本当の将棋の世界は漫画を越えるくらい面白いから、ちょっと知ってみるといいよ」と言って、YouTubeで棋士の方々の動画を見せてくれたのです。
最初は橋本崇載先生の金髪パンチパーマに紫のスーツ、それから佐藤紳哉先生のかつら脱ぎショー、そんなふうに始まったのですが、その時に第一回電王戦の米長邦雄先生とコンピュータの戦いの映像を見せられて、そのときに中村太地先生が・・・。
北野 ありましたね。
前田 簡単に説明すると、コンピュータと人間のプロの棋士がほぼ史上初、対局することになったんです。現在は、コンピュータとプロ棋士が対局するとなると、ロボットがコンピュータの駒を動かすのですが、当時はまだロボットが発明されていなくて、代わりに誰かが駒を動かさなくてはいけなかった。
その歴史的な対局に人類代表として名を挙げたのが、当時の将棋連盟会長で、将棋の強さも歴史に名を残す、米長邦雄永世棋聖でした。そして対局相手となるコンピュータの駒を動かしたのは、米長先生の弟子である中村太地先生でした。
師匠はコンピュータに負け、その年に亡くなりました。棋士の威厳をかけて戦った師匠の歴史的な一局を、模擬的だけれど弟子が受ける。こんな漫画みたいなすごい物語があるんだっていうことに衝撃を受けて、そこからぐーっと入っていったんです。それが一番最初です。
あと、私は本を読むのが好きなんですけど、『羽生善治 闘う頭脳』(文春文庫)を最初の頃に読んで、将棋は言葉がない世界なのに、実はこんなに言葉が詰まっているんだっていうことに感動したんです。『盤上の海、詩の宇宙』(河出書房新社)も面白かったです。棋士が持っている言葉にすごく惹かれて、対談集やエッセイを読んだり、雑誌の『将棋世界』を読んだり、私は本と言葉から将棋の世界に入っていきました。
聖徳太子・坂本龍馬・羽生善治
北野 僕が将棋の担当になったのは2010年なんですけど、その時に初めて羽生善治先生に挨拶したんです。名刺を持って「新しい担当になりました」とご挨拶したときに、羽生先生は「そうですかー、それはよろしくお願いします」ととても朗らかな笑顔を見せて下さいました。
しかし、次に恐れていた質問がやってきまして、羽生先生から「ちなみに将棋はどのくらい指されるんですか?」と訊かれたんですね。そのとき、ああいう方の前ですから普通は「それは、それなりに・・・」とか言ってとりあえず言えばいいものを「ルールくらいはなんとか・・・」と正直に答えてしまったんです。
普通だったら「そんな人が? 大丈夫ですか?」と言われても仕方のないような発言でしたけど、羽生先生はニコっと笑って「いやあ、充分じゃないですか。どうぞよろしくお願いします」と仰ってくださって。ああ、素敵な方だなというのが担当第一歩でした。
前田 棋士の人って、どうしてこんなに優しいのでしょうか。棋士のエピソードを知れば知るほど、人間としての生き方に驚かされるばかりです。
そういえば私、羽生さんが永世七冠を取られる一週間前に「一度でいいから羽生さんを見たい」と夢のようなことを弟に話していたのです。「羽生さんは、私のなかの聖徳太子と坂本龍馬なの」と。「この先ずーっと何百年経ったとしても語り継がれる人と、同じ時間に生きていたことを実感してみたい」みたいな会話をしていて。そうしたら、本当にその3日後に駅ですれ違ったんです。
北野 ええ~っ!! それはすごい!!
前田 それでもう、立ち止まっちゃって。「え!? H・A・B・U!?」みたいな感じになって。
北野 (笑)
前田 10秒くらい経ってから「あ、羽生先生だ」と、やっと認識しまして。こんなことはもうないかもしれないから「竜王戦頑張ってください」だけでも伝えられたらと駅を走り回ったんですけど、見つけられなくて。見つけられないとわかった瞬間、足がガクガクっと震えて、母に電話しました。
北野 はははは(笑)。それは素晴らしい瞬間でしたね。
勝負の世界でも美しく
前田 今日は「将棋を知って感動したことリスト」をつくってきたんです。
北野 おお~!! つくりたくなる気持ちは分かります。
前田 まず一つ目は、「美しい棋譜を残す」ということを知ったときに、おったまげました。勝ち負けだけじゃない。自分が負けるときもいかに美しく投了するかという芸術的な面があるということに驚きました。
北野 棋士同士の将棋には、必ずではないですけど「形づくり」という作法があります。勝負がついて、片方が負けましたと投了を告げる前に、最後に出来るだけ美しい手順や美しい盤面にするための手を指して勝負を終えるという作業ですね。負ける側はもちろんものすごく辛いんですけど、それでも、言葉を交わさず、両者のあうんの呼吸によって美しいものをつくって終えるというのは、他の勝負の世界にはなかなかないことだと思いますね。
前田 勝つことが全てなのかもしれませんが、対局する相手と一緒にひとつの旅をするような、その旅が冒険紀として後世に残っていくような、そんな感覚に心が震えました。
あと、将棋はいろんな人が平等にできるものだというのも楽しいなあって思います。街の飲んだくれのおじいちゃんから、ドラえもんに出てくるスネオのお母さんみたいな人が連れてくる子も、ジャイアンのようなガキ大将みたいな子も、いろんな人が盤の上で会話をできるということがすごいですよね。弟が小さいころに将棋大会に連れて行ってあげたことがあるのですが、会場にはいろんなタイプの子がいたことが記憶に残っています。最近は一応、私も指すようになって父とも指しました。
盤の上では平等
北野 今の話で思い出したんですけど、先日、棋士の方と夜にお酒を飲んだ後、商店街を歩いていたら、真夜中なのに路上に将棋盤を出して「私と対決しませんか。一局何百円」って書かれた段ボールを掲げた腕自慢みたいなおじさんがいたんですよ。棋士の方はそれを「あっ、僕、やってみようかな」って言うんです。いやいや、あの方が将棋ファンだったらたまげますよ、みたいな話をして。結局、他の人との勝負が続いていたので未遂に終わったんですけど、その盤の前ではそのおじさんも棋士もフェアな立場なんですよね。そこに今までの経験も実績もある意味では関係がなくて。
完璧にフェアであることは将棋の最大の魅力のひとつだと思います。運はないし、天候も関係ない。第3者の選択、ジャッジ、採点も介在しません。常にフェアなところから勝負は始まる。「羽生善治だから勝てる将棋」というものは存在しなくて、羽生先生でも、どんな相手と指す時もリードからは始まらない。相手を技術で上回り、勝ち続けなくては羽生先生のままでいられない。当たり前ですけど。
前田 将棋界を知っていくと、知識としては「この人とこの人が戦ったら、こっちが勝つだろうな」みたいなことがなんとなくわかってくるじゃないですか。でもそれを裏切られることがすごく多いというか、予期せぬことがこんなにも起きるんだっていうのも、びっくりしますよね。これほど順位やクラスが明確にレベル分けがされているにもかかわらず、かなり下の人が上の人に勝ったりするのは夢があるというか。
憧れと並べるなんて
前田 あとは「憧れと並ぶことができる」というのが、将棋を観ていてワクワクすることのひとつです。。
北野 さすが、わかっていらっしゃいますね。完全に同意します。
前田 私、将棋を好きになるまで知らなかったんですけど、野球とかはオフシーズンがありますけど、将棋は一年中なにかしらのタイトル戦があって、一生オリンピックが続くみたいな感じですよね。
北野 言われてみれば、オフというオフはない世界ですね。
前田 こんな精神状況を常に、しかも向上心を持ってやっていられるのってすごいですよね。
北野 みんなが大好きな「ひふみん」こと加藤一二三九段は60年以上、その生活をやっていたわけですからね。
前田 憧れだった人や自分にとっては雲の上の存在だったような人と戦えるというのは、将棋の夢があるところのひとつですよね。それこそ中学生で棋士になった藤井聡太くんのデビュー戦のお相手は、70代後半のひふみんでした。棋士の年齢層が非常に広いからこそ実現することだし、師弟対決なんてものは、ほかの世界ではなかなかないんじゃないかなあ。
北野 最近、豊島将之さんが羽生先生に勝って棋聖になりましたけど、豊島さんが将棋を始めたのは実は・・・
前田 羽生先生をテレビで観て!
北野 そうなんですよね。「お母さん、なあにこれ?」って聞いて「これはね、将棋っていうものがあって、棋士っていう人たちがいるんだよ」「へー」ってなって、4歳の時だったらしいですけど、初めて何かに強い興味を持ったのがその瞬間だったらしいんですよ。それで将棋を始めて、そのテレビに映っていた人と20数年後に会って、真剣勝負で指して勝つ。そんな劇的なことがこの世界にあるのかなあって思いますよね。将棋界にいると、みんな「まあそんなもんでしょう」みたいな感じなんですけど、いやいやいやいや!これ、一般的に考えたらものすごいことですよ! って叫びたくなる(笑)
前田 中村太地先生が羽生さんに憧れ、同じ将棋道場に通い、羽生さんから王座のタイトルを奪ったときも、なんかすごく胸がいっぱいになりました。
北野 あれは、たまらなかったですよね。詳しくは『等身の棋士』に書いてあるはずです(笑)
前田 本当にたまらない物語が山のようにありますね。
(つづく)
プロフィール
前田 エマ(まえだ・えま)
1992年神奈川県生まれ 東京造形大学卒業。オーストリア ウィーン芸術アカデミーに留学経験を持ち、在学中から、モデル、エッセイ、写真、ペインティング、朗読、ナレーションなど、その分野にとらわれない活動が注目を集める。現在連載中のものに、オズマガジン『夜のよりみち あしたのワンピース』(スターツ出版)、marie claire style『アートのとなり』(中央公論社)、She is『前田エマ、服にあう』(CINRA)がある。
北野 新太(きたの・あらた)
1980年、石川県生まれ。学習院大学在学時に雑誌『SWITCH』で編集を学び、2002年に報知新聞社入社。以来、記者として編集局勤務。運動第一部読売巨人軍担当などを経て、文化社会部に在籍。2010年より主催棋戦の女流名人戦を担当。2014年、NHK将棋講座テキスト「第63回NHK杯テレビ将棋トーナメント準々決勝 丸山忠久九段 対 三浦弘行九段『疾駆する馬』」で第26回将棋ペンクラブ大賞観戦記部門大賞受賞。著書に『等身の棋士』『透明の棋士』(ミシマ社)がある。
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