第9回
安田登×いとうせいこう×釈徹宗×ドミニク・チェン 論語はやっぱりすごかった(1)
2019.06.17更新
こんにちは。ミシマガ編集部です。
みなさま、ミシマ社の先月の新刊『すごい論語』はすでにお手にとっていただきましたでしょうか。著者の安田登さんと、各分野の達人3人が、『論語』の「楽」「礼」「仁」などをテーマにしながら、自由闊達、天衣無縫に語らった一冊です。
5/25(土)(『すごい論語』の発刊日)に、著者の安田さんと、『すごい論語』に登場してくださった対談相手のいとうせいこうさん、釈徹宗さん、ドミニク・チェンさんの4人全員が一堂に会する、「すごい×すごい×すごい×論語」が、青山ブックセンター本店で開催されました。
達人4人が、論語を始点に、言葉が生まれる前の遠い昔から、SNSやウェアラブルテクノロジーといった現代の最先端まで、時代を軽やかに飛び越えたトークを繰り広げました。
その模様を2日にわたり掲載します。どうぞお楽しみください。
(構成:須賀紘也、星野友里、写真:須賀紘也)
まさか4人が集まるとは
安田 まさか4人が集まれるとは!
安田登さん
釈 せいこうさんはドラマの撮影中なんですよね。
いとう そうなんです。撮影期間中はずっと、先方にスケジュールを押さえられています。今日は抜け出してきました(笑)。
いとうせいこうさん
安田 釈先生は関西から。
釈 せっかくの機会なので、喜んで来ました。地震で地下鉄が止まったり、トランプが東京に来てたり。青山まで来にくくて来にくくて・・・
釈徹宗さん
会場 (笑)
安田 ドミニクさんもお忙しい中、ありがとうございます。
釈 僕の息子が、今、会いたい人ナンバーワンがドミニクさんなんです。
ドミニク ありがとうございます。今日は超緊張しています。
ドミニク・チェンさん
安田 さっきも楽屋で、本番前だというのにおもしろい話になりかけて、必死で止めました(笑)。珍しい会なので、最後までお楽しみください!
すごい衣
安田 今月から新元号になりました。それにともなって今度、大嘗祭(だいじょうさい)が行われます。大嘗祭では、大嘗殿に入る前に、湯殿で湯浴みをします。その時に、竹取物語にも出てくる、天の羽衣を身につけるんですよ。
竹取物語では、天の羽衣を身につけると、過去の記憶がなくなって、憂きこともなくなる。それを大嘗祭の前に身につけることによって、人間としての記憶と性格をなくして、新たに天皇霊を身につけるための儀式ではないかと思います。
釈先生は対談のとき、衣のお話をずいぶんされていましたね。
釈 ええ。服装の持つ宗教性というのを、我々はもう一度よく考えなくてはいけないのかなと思います。
あと、「天の羽衣を身につけると、過去がなくなって、憂いもなくなる」という今のお話を聞いて、過去、あと未来と言った「時間」がなくなれば、もしかしたら人間ならではの苦しみのほとんども、なくなってしまうのかもしれないなとおもいました。犬は、「俺も昔はもっと速く走れたんだけどな」と苦しんだりしないじゃないですか。
会場 (笑)
釈 その「時間」から人間ならではの喜びも生まれるけど、苦しみの根源でもある。宗教のほとんどが、そことどうつき合うかの、知恵の体系だと思います。
いとう その「過去をなくす」ための手段として、衣が出てくるのがすごく不思議で。今、個人的に能を10本、完全に現代語訳してみようとしてやっているんですよ。
ちなみに、今までに出ている能の訳って、内容は訳していても掛詞とか縁語とかは全く訳していないんですね。そういうのまで、全部現代の縁語とかで訳すとか、頭韻(とういん)だけは踏むとか。
釈 ラップみたいですねえ。
いとう そうそう、ラップのやり方で訳してます。それで、訳しながら不思議だったのが、「衣の縁語」がやたら出てくるんです。能の内容に関わらず。
安田 多いですよねえ。着物の「褄(つま)」が「妻」にかかっていたり。
いとう そうなんです。「着る」とか、「砧(きぬた)を打つ」とか、「縫う」とか、衣のことばっかり出てくる。ということは、「何かを着る」ということ自体が、ものすごく儀式的なことだったんじゃないか。僕らは量販店で買った服ばかり着ていたりするからなんとも思わない。今日「この服スゲーな」と思いながらここまで来た人はいないでしょう?
会場 (笑)
いとう 昔の人は「服ってスゲーな!」と思っていたんじゃないか。当時の物語でよくあるのが、他人の着物を着て、その人に成り代わっちゃうというもの。
安田 憑依する。特に亡くなった人が。
いとう そうなんです。あまりにも多いので、能ってそのことを伝えるためにあるんじゃないかとさえ思います。
釈 大阪に上町(うえまち)台地というのがあって、そこの先端にある神社で、生島(いくしま)大神と足島(たるしま)大神という、日本列島全体の土地神が祀られている。平安から鎌倉時代には、天皇が即位したときにはその神社で八十島(やそしま)祭という、土地神に挨拶する儀式が行われて、天皇は出席しなければいけなかった。
最初のうちは、ちゃんと天皇が行っていたみたいなんですけど、そのうちだんだん天皇の衣だけが行くようになった。その衣を半島の先端で風にさらして、土地神の霊力をつけた衣が天皇の元に返ってきて、それを着るという儀式になった。
ドミニク 本人が行かなくても、衣がアバターとなって。
会場 (笑)
いとう そうなると、人間が霊を憑依させるというのは、すごく現代的な考えで、昔は着る物のほうに何かが憑依しているという考え方だったのではないか。人格というものがそれほど重要視されていなくて、簡単に、他の人に変われるという軽さを持っていたのかもしれない。
釈 だからきっと機織りの人は、シャーマンのようなある種の宗教者として、特別な位置にあったでしょうね。
いとう たぶん、だから皇后は蚕(かいこ)を買っているんですよ
ドミニク そういえば、現代的なコンピューターの起源は、1801年に発明された「ジャカード織機」。これはパンチカードに機織りのパターンを記述しておくと、だれでも複雑なパターンが織れるようになるというものです。
安田 あー、そうだ!
ドミニク そのジャカード織機から着想を得て、今グーグルが「プロジェクトジャカード」というのをやっています。リーバイスと、あと日本の伝統的な機織り職人たちと組んで、新しいウェアラブルのテクノロジーをつくっていて。
繊維の中に導電の糸を織り込んで、服をつくる。そうやってできた服を着ると、「右手をあげると電話をかける」とか、「腕を2回まわすとメールができる」とか、そういうことができるようになる。
昔の衣服があの世と繋げて考えられていたように、コンピューターの世界でも、クラウドコンピューティングといって、雲の上の世界と衣服がつながってくる。
いとう 羽衣じゃん! 天の羽衣だよ。
ドミニク そうです。クラウド羽衣です!
会場 (笑)
デジタルなものに感じる神性
ドミニク 世界初のデジタルメディアは、ジャカード織機よりずっと昔からあって、それは歌とダンスなのではないかと思っています。
しゃべる言語の起源は、まだはっきりとはわかっていないのですが、「もともと歌とダンスだったんじゃないか」という仮説が世界中で支持が大きい。歌とか舞の中に、言語的な構造が編み込まれている。ある日誰かが、歌っている途中でつっかえて、「あっ」とか言っちゃって。
いとう メロディーなくしちゃって。
ドミニク そうやってしゃべりはじめた可能性がある。そうでないと、言葉が音である必然性がないんですよね。でも鳥も歌うし、類人猿の一部も歌うと言われているので、人間の歌ももともとは原初的で生物的な意味合いだった。それがまさにアナログだったわけですよね。生物的に歌っていたところを分節して、「ある動作の繰り返し」に意味を持たせたというところで、歌とダンスは最初のデジタルメディアだったのではないかと思う。
いとう 安田さんに、能の舞は「開いたら閉じるの繰り返し」だと教わったことがあります。下を向いたら、次は上を向く。左を向けば、次は右を向く。つまり、陰に向いたら次は陽を向く。それを繰り返しているだけだと。
釈 ずいぶんデジタルなはなしですね。
いとう そのことで天の乱れを調整していくっていう考え方が、能の舞にあると安田さんはおっしゃっていて、能の舞というものは、なにかもやもやっとしたことをしているのではない。
安田 そうです。能の舞というのは、陽と陰をひたすら繰り返すことで、崩れてしまったオーダー(秩序)を元どおりに戻すんですよ。
自分の中でぐじゃぐじゃになった秩序を、「開いたら閉じるの繰り返し」という、デジタルな舞を舞うことによって戻す。そのことによって天も調整できると考える。
いとう そのことが儀礼なのではないかと思って。儀礼ってルールをつくって何かを治めようとするということじゃないですか。
釈 そうですね。人間も社会もカオス状態では不安なので、秩序を取り戻す動きを創造してきました。儀礼も能の舞もその線上にあるのでしょうし、実は衣装も同じ機能をもっています。また、衣装の文様がポイントでして。昔の糸は太さや色が均一じゃなかったでしょう。それをただ単に織ってしまうと文様にならないんですけど、あるパターンを発見すれば、文様ができるようになる。衣装につく文様は、ある種の神秘的な力をもっている。
いとう なんでそういうデジタルなものに神性を感じたのか、ということは、すごくおもしろい問題だと思います。
(つづく)
編集部からのお知らせ
安田登さんの名著『あわいの力』も合わせてどうぞ!
古代人には「心」がなかった――
「心の時代」と言われる現代、自殺や精神疾患の増加が象徴的に示すように、人類は自らがつくり出した「心」の副作用に押し潰されようとしています。「心」の文字の起源から、「心」に代わる何かを模索するこの本。
『すごい論語』と合わせて読んでみてください!