第73回
特集『菌の声を聴け』発刊記念 タルマーリー(渡邉格・麻里子)×平川克美対談 「クレイジーで豊かな小商いのはなし」(2)
2021.07.08更新
2021年5月28日『菌の声を聴け タルマーリーのクレイジーで豊かな実践と提案』の発売日当日、平川克美先生をお迎えして、タルマーリーのお二人との鼎談イベントをMSLive!にて開催しました。
『菌の声を聴け タルマーリーのクレイジーで豊かな実践と提案』渡邉格・麻里子(ミシマ社)
身体を張った実践が先行して理論が後からついてくる、アドベンチャー好き、小商い実践者、フライング人間・・・等々、平川先生と格さんには共通項が次々と浮かびあがり、文化としてのタルマーリーのパンやビールの話から、小商いという生き方の話まで、まさにイベントタイトルどおりの「クレイジーで豊かな小商いのはなし」が繰り広げられました。
ミシマガジンでは2日間にわたり、その模様の一部をお送りします。
最初から最後までおもしろく、泣く泣くカットしたところもたくさんありますので、ご興味のある方は、こちらから、アーカイブ配信(有料)もお楽しみくださいませ。
構成:星野友里
私たちは脳で文化を食べている!?
格 タルマーリーのパンやビールが売れる理由について、ここ一、二年考えてたんですけど、圧倒的に味にブレがあるんですよ。今のこの均質化した社会ののなかで生きているときに、そういうブレ、野生を感じたいと思う人が増えてるんじゃないかなあと。
平川 でも、俺にとってはさ、食べて味わうっていうのは、実はどんなものもあんまり変わらないんだよ。タルマーリーのパンはさ、パンじゃないんだよね。パンなんだけど、このパンを食べながら文化に触れられるっていう感覚があってさ。
つまり同じような味のものはあっても、味を理解してるのは脳なんだよ。これは俺最近、目の手術をしてびっくりしたんだけど。手術したほうの目は寒色、もとの目は暖色に見えて、全然違う色を頭の中で統一して一つの世界にしてるわけよ。今は両方やったからほぼ両方とも寒色なんです。それは前に僕が見ていた景色とは全く違う。それを脳が納得していないんだよ。
格 どういうことですか? 納得しない?
平川 目自体の機能は変わんないんだけど、網膜に映ったものを脳が受け入れて初めてリアルに我々が見ているものがわかる。今現在は僕が今まで見ていたものとすべての色が違って、じゃあ本当の色はどこにあったんだろうって言ったら、そんなものはないわけだよ。見ているものは人によって違う。それで、なにを本当と感じるかというと、脳が受け入れたものなんだよ。
格 なるほど。
平川 だからパンを食べても、そのパンのリアリティというのは脳が認識しないとダメなんだよ。タルマーリーという世界を食べることによってね。おんなじものがうちの近所のお店で売られていたとしても、それ食べて美味しいと思わないんじゃないかな。
格 新しい視点ですね。じゃあ野性味があるから売れているというのではないですね。
平川 すっごい美味いカレーでもさ、トイレで食ったらうまくないよね。やっぱりそれは草原の外のテーブルで食ったらさ、美味しいわけですよ。トイレで食おうが何だろうが舌で受信してるサインは同じなんだけど、違うように感じるということは、やっぱり脳で食ってるんですよ。だから、脳が認識する、タルマーリーの作り出した文化、一つの世界は、やっぱりものすごい。それがタルマーリーだと思うけどな。
格 ありがとうございます。
責任のないことに責任をもち、プロセスを楽しむ
格 最近思うんですけど、たとえば天下りとかもうやめて、恩給みたいな形でバーンと国がお金を出して、あとは消費することが仕事だみたいな、そんなシステムできないものかと。働くことが好きな人は働くことに喜びがあるし、消費することが好きな人は消費することに喜びがあるので、変な仕事を作って世の中に迷惑をかけるより、いい消費が世の中を作っていったほうが、いい国になるんじゃないのかって、単純に思うんです。
『小商いのすすめ』で、小商いとは、事業の規模の大きさとか関係なく、全部に対して自分が責任を持つことだとおっしゃってて、これだって思ったんですよ。結局我々も全部自分で責任を持ってつくってるから、命がけだから楽しいんですよね。
平川 本当はさ、自分に責任のないことにも、俺が責任を持つと名乗りをあげるということなんですよね。今は全く逆じゃないですか。政治家なんかも絶対謝らない。
でもやっぱり本来、責任がないことに、「それは俺の責任だ」と名乗りをあげる人たちが要所要所にいないとね、なんのために俺たちが生まれてきて、ここに今いるのかってわからなくなりますよね。難しいことだけど、そういうふうにしたほうが楽だし、楽しい人生を送れるんですよ。
格 それは本当にそう思います。つながる話かどうかわかんないんですけど、ものを作る中で、ここまでやらなくてもいいんじゃない? ということを乗り越えて、無駄なことをいっぱいやっていくわけです。タルマーリーってそういうところなんで。普通のパン屋さんで勤めてきた人が、「なんでこんな無駄なことをするんですか?」と質問することもあります。
平川 今回の本にも出てきますけど、合理性に対する疑いというのが、格さんはやっぱり強いよね。結局、合理性と我々が呼んでいるものの正体は経済合理性なんだよ。それは一番低コストでゴールする方法であってね、実際には、ゴールにいくことが目的じゃないわけだよね。右に行ったり左に行ったりしているプロセス自体を楽しめるかどうかということが、その人の人生をすごく豊かにしていくのであって。
格 結局失敗も、最後にはネタでもなんでもいいんで、自分の利益にしていって、自分の時間を全部自分のものにしているという感覚を持てるようになってからは、本当に何もかも楽しくなってきましたし、私自身やっぱり、愚痴不平を言っていた時代というのは、それができてなかったんだという反省もありますね。
自然法則である菌は、原理主義ではなかった
平川 ぼくはね、スローフードとかなんとかって、体にいいことだけをやらないといけないとか、そういう感じは嫌なんですよ。体に悪いこともちょっとやりたいわけだよね。それが人間だからさ。タルマーリーも、そういうところでわりと誤解されがちなところもあると思います。
格 実際、平川先生に初めてお会いしたころは原理主義でしたね。肉も食べなかったし、食に関してもものすごく偏っていました。そういうことを続けていくと、体はいたって健康なんですけど、人間関係がよくないし、結局生存するという意味では、非常に弱い人間でしたね。もし何かがあったら街の人は誰も味方になってくれないという自信がありました。
今は無添加のラーメン食べたり、肉を食べたりするようになってますし、真ん中を歩けるようになってきて。仕事に対してもやっぱり原理主義から離れて、なんとなくいい意味で丸くなってきたなと自分では感じる今日この頃です。
平川 そのくらいがいいと思いますよ。みんな選択の問題にしちゃうんだけど、要は程度の問題なんですよ。我々には選択の余地なんてなくてさ、生き延びていかないといけないわけだから。ただ程度は調節できるわけじゃない? このくらい体に悪いものだったら入れてもいいかとかさ。そういう感じですよね。
で、まったく無菌培養しちゃうと、今度は生き延びていけなくなっちゃうんだよ。人間がひとつの場所になかなか定住しなかった大きな理由は疫病なんだそうです。定住しちゃうと全滅してしまう。ある程度の汚れを許容するというか、共に生きるということだよね。不愉快な隣人と一緒に生きるということと同じなんだけど、それをやらないと人間は差別主義者になっちゃうんですよ。あらゆる差別って、そういう程度の問題を、選択の問題と読み変えてつくられるわけですよね。
格 本当に平川先生がおっしゃる通りで、自分もかなり極に走っていたと思うんですけど、でも、自然法則である菌をもっともっと深く見るようになっていって、その菌が意外と農薬とかを敵視していないとか、そういうことがすごくわかるようになっていきました。結局今現在の社会問題って、自然法則をあまりにも無視しているんだなっていうことに気付きましたね。
たとえば食の社会も、これが体にいいんだと頭だけで考えた流れができているような気がして、そうやって極に寄っていると、変化を恐れるようになってしまうというのが、私は一番怖いと思っています。本でも「動的」と繰り返し言っているのは、どんな状況になっても、許容していくということで、そう考えられるようになって、全部まっさらにしたら、あとはもう菌と妻のいうことを聞いてれば・・・(笑)
平川 (笑)
編集部からのお知らせ
『菌の声を聴け』の「はじめに」を全文公開しています!
ミシマガ記事『菌の声を聴け』刊行記念特集 タルマーリーのクレイジーで豊かな新刊をご紹介!にて、「はじめに」や渡邉格さんのコメント、CM動画など公開中!
雑誌『ちゃぶ台7』にタルマーリーのお二人が登場!
インタビュー「お金を分解する」でお二人にお話をうかがっています!
渡邉格・麻里子(タルマーリー) ×大橋トリオ×ナガオカケンメイ のトークイベント、アーカイブ配信中!
本屋B&Bさん主催で開催された『菌の声を聴け』刊行記念イベント「パンとビールと音楽と ~長く、深く、ちょっと広く届ける ものづくり~ 」のアーカイブ動画を配信中です!
タルマーリー×小倉ヒラク 『菌の声を聴け』書籍発売記念イベント(発酵デパートメント主催)が開催となります!
『ちゃぶ台 Vol.4』にもご寄稿くださった発酵デザイナーの小倉ヒラクさんと、タルマーリーのおふたりのオンライン対談イベントが8/2(月)に開催となります。