第79回
特集『三流のすすめ』発刊記念 安田登×平川克美 対談(後編)
2021.09.14更新
7月22日、平川克美さんが店主をされている隣町珈琲のブックレビュー対談に、『三流のすすめ』著者の安田登さんがゲストとして登壇されました。
リアルイベントにお客としてうかがったミシマ社のホシノとイケハタでしたが、そのあまりの面白さに、これはもっとたくさんの方に届けたい!と、ミシマガジンでレポートすることをお願いし、こちらでその一部を公開させていただくこととなりました。
中国の古典から現代の政治まで、止まることなく転がり続けた、"落ち着きがない"お二人の対話、2日間にわたってお届けします。(前編はこちらから)
★フルバージョンの音源は、ラジオデイズにてご購入いただけます。
構成:田村洸史朗、星野友里
『太平記』と『21世紀の楕円幻想論』
安田 『三流のすすめ』からは話が逸れますが、いま『太平記』を読み直そうと思っています。隣町珈琲さんでも講座をさせていただこうというお話になっていますでしょ。
古代から平安時代まで続いてきた天皇中心貴族という政治組織があまりに長く続いちゃって、そうすると現代と同じくらいか、それ以上に、中がグズグズになっていて、機能不全を起こしている。そんなとき、西洋なんかだと王様を捕まえて死刑にしちゃったり、中国だと革命をしたりするじゃないですか。
ところが日本の鎌倉時代は、腐敗した組織はそのままにして、もう1個政治組織を作っちゃおうというすごいことが起きた。それが「幕府」です。幕府が幕府であるために大事なことは何かというと、天皇や中心貴族たちの重視しているものを重視しないことなんです。たとえば名誉とか。結局、鎌倉・室町は失敗して、江戸で成功するのですが。
で、これが現代ではもう一度必要ではないかと僕は思っているんです。
まあこんなこと言っちゃっていいのかわかりませんが、あれだけ国民がオリンピックに反対したのにやっちゃうというのはすごいでしょう? で、なぜ日本人はあそこで暴動を起こさないのかと外国人は言ったりするんですけど、日本はそうじゃなくて、もう今の政府はそのまま置いておくと。で、こっちでバーチャル幕府を作っちゃう。バーチャル幕府は今の権力者が大事にしているものを大事にしないんです。まず、お金いらない、ビットコインをもらうから。それから広い土地や豪邸もいらない、狭い部屋でもみんなネットでつながるからいいよ、とかね。もちろん名誉もいらない。ここら辺の可能性を読み解くのに面白いのが『平家物語』と『太平記』だと思うのですが、『平家物語』は隣町珈琲さんで講座をさせていただいたので、今度は『太平記』かなと。
平川 ああそうなんですか。確かに、朝廷を温存させたまま、貴族の世界とは全然別の幕府を作って、気がついたら政治的な権力は全部幕府のほうに移っているというのは、極めて日本的なやり方ですよね。面白いなと思います。大体、『幕府』って何だと思いますね。
安田 『幕府』ってもともとは朝廷のための武家組織だったでしょ。それを独立政権にしてしまう。そこら辺に頼朝のうまさというかしたたかさがあったのではないかと思うのです。最初から対立すると潰されてしまいますから(笑)。そして、それがなんと江戸が終わるまで続くわけですからね。「大化の改新」、「鎌倉幕府」、そして「明治維新」というのが日本の三大転換期で、加えて今こそ新しい転換期じゃないかと思ってですね。それを考えるために『太平記』を読んでいこうと思ったわけなんですけど、ちょっと危険ですかね。
平川 全然良いと思いますよ。アナキズムみたいな感じかもしれませんね。
安田 はい。幕府は明治維新以降、軍部に引き継がれたような形になってしまいましたが、そうならないためにもバーチャル幕府で大事なのはふたつあって、ひとつは武力を持たないこと。もうひとつはヒエラルキー型の組織を持たないこと。これが名誉を不要とすることですね。で、思いついたのが平川さんの『21世紀の楕円幻想論』なんです。楕円というのは焦点が二つある。これはその、旧朝廷と幕府だと思うんですよ。これをつくることができた時代ってすごいなと思って。そして、現代ではそれがどのような形できるか、ということを考えてみたいと思っています。
VRと、目を使わないで観るパフォーマンス
安田 いろいろやってきましたが、これからもっとやっていきたいのはバーチャル世界。まだそんなに遊んでいないんです。
平川 そうそう、その話もしなきゃいけなかった。バーチャルのこともやってたんでしょう?
安田 90年代にゲームの攻略本を書いたり、3DCGの本書いたりしてました。それに風水のプログラムも・・・。
平川 それだけやっていながら、まだバーチャルが足りないですか?
安田 コロナで舞台が少なくなったのでVRプログラミングの勉強をしました。また、関西大学で教え始めたんですけど、VR内に京都を歩く「VR京都」を作ろうと思っています。このきっかけは、海外公演に行ったとき、ある外国の知識人から、日本文化がすごいのはなんとなくわかるけど、実際日本へ行ってみると、パンフレットや看板がしょぼいといわれたことなのです。少なくともあれは知識人向けではないって言われて、なるほどそうだなと思いました。
そこで西洋の知識人、例えばレヴィ=ストロースなどが見て面白いと思うようなVR 世界を作りたいなと思ったのです。京都というのは平安時代から現代まで、さまざまな文化の層があるでしょ。平安時代もそうだけれども、鎌倉も、室町も、そして明治維新も京都が重要。それらの記憶が圧縮されている、そんなVRを作りたいと思っています。たとえばVR京都の中を歩いていると、突然、平安貴族が出現して、一緒に和歌を作ったり、怨霊が出現して、今度は退散させるために陰陽道を勉強したりとかね。
平川 もうね、最近、両目の白内障の手術なんかしたら、目に見えていて自分が確かだと思っていたものが、実は不安定で、全然違うふうに見えちゃう。だから我々がリアリティと呼んでいるものは、実は何かよくわからない。
安田 そう! 実はコロナがなかったら、「オルタナティブ・リアリティーズ」というシリーズのパフォーマンスをやろうとしてたんですよ。
平川 なんですか、それ。
安田 僕たちが考えているリアリティー、現実って本当はリアリティーの中のひとつにすぎなくて、本当はもっといっぱいある。それを体験するパフォーマンス・シリーズです。たとえば1つ言うと、平川さんがいまおっしゃった目の話で、目という感覚器官を使わないで見るというパフォーマンス。たとえば、「能」というのは、何も舞台装置がないんで、皆さんの幻視を期待している芸能です。
これはラマチャンドランの『脳の中の天使』に書いてあったのですが、仮に、テレビで誰かの腕をハンマーで叩くというシーンがあるとすると、視聴者は一瞬痛みを感じる。でも、すぐ痛くなくなる。それはなぜかと言うと、自分の皮膚から、あの腕は自分の腕ではないという信号が出るから。これを無効信号「ヌル(null)シグナル」って言うんですね。でも、腕がない方はいつまでも痛いと。それは無効信号が出ないかららしいのです。皆さんが能を観ていて、たとえ幻が見えていても、目があるから「私は何も見ていない」というヌルシグナルを出しちゃうんです。一方、感覚器官としての目を使わないで見たときは、幻がはっきり見える。たとえば「夢」。夢のときは感覚器官としての「目」は使わないでしょ。目を使わないで見るという行為をするときは、幻想がちゃんと見える。で、オルタナティブ・リアリティーズの1つはそれなんです。それを全4回のシリーズでやろうと思ってたんですけどねえ。
安田登と宮沢賢治のご縁
平川 幻視って、幻を視るって意味ですよね。幻視者っていうよくほら、詩人のアルチュール・ランボーが、ヴォアイアン(見者)というふうに言われていて、母音に色が見えるという話があったと思うんですけど。そういうところにもういっちゃったんですか、安田さんは。
安田 はい。それは共感覚とも関係していますね。僕はまだ行っていませんが、オルタナティブ・リアリティーズではそこら辺までいけるといいなと思っています。
平川 まだまだ話したいんですけれど、実は、今日この後、ノボルーザ(安田先生の主宰するパフォーマンスグループ)で「銀河鉄道の夜」を上演してくださるんですよね。安田さんが宮沢賢治に興味を持たれたというのは、すごいご縁というか必然が僕はあるような気がしました。
安田 そうですか。
平川 安田さんは、現代の宮沢賢治なんですよ。賢治の博物館に行ってみれば、よくわかる。宮沢賢治は、農業技師であり、一民衆であり、科学者であり、文学者であり、宗教家であり、そして詩人であり、童話作家でもあった。とにかく、1人の人間がやっているとは思えないくらいいろんなことをやって。で、そのどれもがとんでもないところまでいってるんですよね。詩人としての宮沢賢治は有名ですけれど、科学者としての、宇宙学者としての宮沢賢治はあんまり知られていない。
安田 そうですね。星の描写とかもすごい。
平川 そういう意味では、一芸に秀でるということがやたら褒められる時代に、多芸で秀でちゃうというね。宮沢賢治も安田さんも。
(終)
編集部からのお知らせ
ドミニク・チェン×安田登 対談、開催します!
情報学者で、この8月には『コモンズとしての日本近代文学』(イースト・プレス)を上梓し独自の文学全集を編むなど、様々な分野で活躍する(三流=多流)ドミニク・チェンさんと、安田登さんが対談されます!
個人の創作物を発表・販売するプラットフォームが拡充し、収入を得る人々が増えている、いわば「大三流時代」ともいえる今日。三流街道を行きながら次々と新しい手を繰り広げるお二人に、「三流」という視点からみた、これからの創作のあり方、そして生活について語っていただきます。
創作や表現に携わる人や、これまでの「一流」的なクリエイティブのあり方に行き詰まりを感じている人、はたまた複数の生業を持つ方も。思わぬ角度から未来が拓くかもしれない、お二人の対話をぜひご覧ください!