第101回
平川克美×松村圭一郎対談「アナキズムを実践したら共有地ができた!?」(前編)
2022.05.26更新
明日5月27日に書店先行発売日を迎える、生活者のための総合雑誌『ちゃぶ台9』。今号の特集は「書店、再び共有地」です。2月に発刊した平川克美さんの『共有地をつくる』のなかで言及されている「誰のものでもないが、誰もが立ち入り耕すことのできる」という場の代表例のひとつが、書店なのでははないかと考え、現代の共有地たりうる全国10店舗の書店を取材しました。
本日と明日の2日間にわたって、平川克美さんと『くらしのアナキズム』の著者で文化人類学者の松村圭一郎さんが「現代の共有地」についてお話しされた対談の模様をお届けします。共同体と共有地の違いや、共有地が持つスキマの重要性などのお話を通して、共有地のより具体的なイメージが膨らむ対談となりました。『ちゃぶ台9』に掲載の書店のみなさんへのインタビュー記事には、ここでお二人がおっしゃっていることとも共通点が多数見られます。ぜひそちらも合わせてお読みください。
(構成:山田真生)
共同体のいやらしさを超えるために必要なもの
左:松村圭一郎さん、右:平川克美さん
松村 2018年の11月に、岡山のスロウな本屋さんで、平川さんとタルマーリーの渡邉格さんと私の鼎談イベントがありましたよね。
平川 僕にとってあの鼎談はすごく印象的だったのです。渡邊さんはお客さんとして来ていて、急遽登壇者として出てもらうことになったんですけど、お客さんも空間もものすごくいい感じで、あそこまで一体感があるイベントは珍しい、というくらい一体感がありましたね。とても気持ちよかったという記憶があります。
あのとき「おれは共同体ってのはあんまり好きじゃないんだよ」って話から始まりましたよね。最初から期待をぶち壊すような形になったんですけど(笑)。でもあれは肝でね。今、コモンだとか共同体だとか、「これがあれば救われる」みたいなちょっとしたブームになっているじゃないですか。でも、それはちょっと違うと思うんです。僕は共有地という考え方をしていく上で、共同体のいやらしさが自分の中で身にしみているんですよ。昭和という時代は非常に共同体的な時代でもあったんだけど、そのムラ社会が嫌だったんだよね。共同体的な戦争が終わると、今度は新自由主義みたいなのが入ってきて、じゃあそれがいいのかといったらそうでもない。でも、新自由主義的な自己責任論を悪の根源のように言うことがあるけど、すべてのことにおいて、ある程度は自己責任であると思うんですよ。そういうことが嫌で共同体のほうに逃げ込むっていう発想だと、また私が嫌ったかつての隣組のようなところに行ってしまうんですよね。
松村 平川さんのいう「共有地」っていうのは、みんなバラバラにやってきて、縛りもなく、嫌なら来なければいい。メンバーシップを固定しない開かれた場なんですよね。
平川 要はもたれ合わないってことなんです。メンバーシップが固定されてしまうとそこに幻想の中心が生まれて、メンバー同士がもたれ合ってしまい、ある種仲間内のサークルみたいになっちゃう。
喫茶店がいいのはね、隣の人がどういう人か全くわからない。わからないんだけど、場を共有していて、その場を大事にする。そういうところなんだよね。
「店」という共有地
松村 共有地をつくるといったときにも、いろんなやり方があると思います。子ども食堂や、無料食堂のようなものとか。そんな中で平川さんは、経済をまわし、従業員の生活を成り立たせなければいけない「店」という形を取られましたよね。
平川 そうです、ただし店が保証できるのは本当に最低限度の生活ですよ。「ここでお金儲けはできないよ」と彼らにも言っているんですけど。僕らの目標は大きくすることではなく、ただ継続させることなので。継続させるためにどうすればいいのかっていうと、まず僕が辞めるってこと。次の世代にバトンを引き渡す。次の次くらいまでの準備をした段階で僕は引こうと思っているんですよ。私有をやめるってそういうことなんですよ。
松村 私は『くらしのアナキズム』で、いろんな人類学の研究とかも引用しましたけど、そうするとどうしても共同体っぽい事例が多いんですよね。でも昔の「ムラ」のようなものって現代にないし、それを復活させることは難しいから、それに変わるものとして市場(いちば)の話を持ってきました。そんな中で最終的に行き着いたのが「市場の共同性」って言葉なんです。
商品をやりとりする経済的な関係のなかにも、ある種のゆるやかな共同性はつくれるんじゃないか、と思ったんです。念頭に置いていたのは、店という場所です。それが『共有地をつくる』を読んで腑に落ちました。
左から『くらしのアナキズム』、『共有地をつくる』、『ちゃぶ台9』
文化的な拠点としての古着屋と古本屋
松村 お店が共有地になっている例として、学生の卒論でおもしろいものがあったので紹介しますね。岡山市内にある3坪くらいの小さな古着屋さんなんですけど、閉店間際に常連さんが何人もやってきて、みんな喫煙所で店主と喋ってるんです。そして誰も古着を買わずに帰る。でも、そんなお客さんの一人だった人が、アパレル関係の企業に就職して都会に行ったけど、あんまり思うようにいかなくて戻ってきて、古着をリメイクすることでお店に関わるようになったり。あとは、あるとき高校生のお母さんがやってきて「うちの息子は不良少年みたいになってしまって、学校も行かずに部屋にひき込もってしまってほとんど会話もなかったんです。でもこの前、この古着屋さんのことを笑って話してくれたんですよ」と涙ながらに語って帰る、ということも。その子にとっては先生やスクールカウンセラー、親も誰も相談する相手じゃなくて、その古着屋の店主とだけはなんか馬があったんですよね。
平川 それはおもしろい。古着屋や古本屋がひとつの文化的な拠点になりつつある気がしますね。昔からそうだったのかもしれないけど。
松村 古着屋とは古本屋は、一旦私蔵された商品が、もう一度誰かのものへ、というようにぐるぐる物が回るのが特徴ですよね。そして資本主義はそうした再利用のネットワークを周縁に追いやってきた。
平川 そうなんだよね。それやられちゃうと市場の再生産ができないので困っちゃう。
松村 でもそうすることで、資源の浪費をふせげるし、ゴミも減りますよね。温暖化にしてもゴミ問題にしても、過剰な消費に掻き立てられているところに問題があるのに。
平川 消費のいろいろな種類に関しては『共有地をつくる』に書きましたけど、むしゃくしゃするから消費するっていう消費もあるわけですよ。そのむしゃくしゃする気持ちも元をたどれば消費社会がつくっているわけで、一種のブルシット消費ですよね。クソどうでもいい消費。ここから抜け出すのはなかなか難しいんですよね。
松村 そこから抜け出す方法のひとつとして、私有をやめて共有する、ということを提案されているんですね。
(後編はこちら)
編集部からのお知らせ
本イベントを全編視聴可能なアーカイブ動画を期間限定配信中です!
記事を読んで気になった方は、ぜひ全編視聴可能なアーカイブ動画をご覧ください! 6/12(日)までの期間限定で配信中です。
『ちゃぶ台9』に、平川克美さん×辻山良雄さんの対談、松村圭一郎さんの論考が掲載されています!
5/27(金)に書店先行発売日を迎える(ネット書店は5/31発売)『ちゃぶ台9 特集:書店、再び共有地』。
今号には、平川克美さんと本屋Title店主・辻山良雄さんの対談「小商いをはじめたら、共有地ができてしまった———喫茶店店主と書店店主が語る」や、松村圭一郎さんの論考「『共有地の悲劇』が起きない理由」が掲載されています。ぜひお近くの書店でお手に取ってみてください。
6/16(木)平川克美×三島邦弘「今日から共有地」開催します!
『ちゃぶ台9』と『共有地をつくる』のW発刊記念企画として、平川克美さんと三島邦弘の対談イベントを開催します。オンラインでの視聴のほか、京都の書店・誠光社にてリアル視聴も可能です!