第101回
平川克美×松村圭一郎対談「アナキズムを実践したら共有地ができた!?」(後編)
2022.05.27更新
本日5月27日に書店先行発売日を迎えた、生活者のための総合雑誌『ちゃぶ台9』。今号の特集は「書店、再び共有地」です。2月に発刊した平川克美さんの『共有地をつくる』のなかで言及されている「誰のものでもないが、誰もが立ち入り耕すことのできる」という場の代表例のひとつが、書店なのでははないかと考え、現代の共有地たりうる全国10店舗の書店を取材しました。
昨日から2日間にわたって、平川克美さんと『くらしのアナキズム』の著者で文化人類学者の松村圭一郎さんが「現代の共有地」についてお話しされた対談の模様をお届けしています。共同体と共有地の違いや、共有地が持つスキマの重要性などのお話を通して、共有地のより具体的なイメージが膨らむ対談となりました。『ちゃぶ台9』に掲載の書店のみなさんへのインタビュー記事には、ここでお二人がおっしゃっていることとも共通点が多数見られます。ぜひそちらも合わせてお読みください。
(構成:山田真生)
資本主義社会の中にはスキマがある
左:松村圭一郎さん、右:平川克美さん
松村 店って開かれていて誰もが立ち入れて、そこでコミュニケーションが生まれて、ときに人格的な関係も生まれる場所ですよね。平川さんのおっしゃる喫茶店も、お互い干渉しないんだけど相手のことを認識はしていて、ときどき言葉を交わす、ということが起こりうる空間として描かれていますよね?
平川 そうですそうです。喫茶店のようなものを概念化する中ですごく参考になったのは、松村さんが言っている「スキマ」っていう考え方なんです。等価交換と私有制でがんじがらめになっているこの資本主義社会の中にスキマがあるんだよね。そのスキマっていうのはかつての駆け込み寺じゃないけど、司法権力の及ばない場所。あんまり相手にされていない場所。そこに可能性があるような気がしています。
デイヴィット・グレーバーが「基盤的コミュニズム」という言葉を使っていて、どんな社会の中にもコミュニズムがあって、富者の中にもあるし、貧乏人の中にもあるし、これは貨幣経済以前から続く原初的な経済だと。これがなければその上に乗っかってくる貨幣経済も成り立たないんですよ。スキマのところには交換経済を加速させる競争がなくてその原初的な経済だけが生きているんですよね。
松村 たぶん私有をやめると、国家が必要なくなるってこともありますよね。自分たちで手を差し伸べあって生きていくので、国家の土台を掘り崩すことになるっていうか。個人や企業が利益を追求することで税金を払っている。だけど、みんなが利益を出さず、融通し合って生きていけたら、国家は税金を取れなくて成り立たない。みんなが欲望に駆られて利益をあげなきゃって思えば思うほど国家を支える財源になっていく。
平川 私なんか最盛期に比べたらずいぶん収入が減ったわけですよ。でも生活の質はどっちがいいかって言ったら今なんだよね。
松村 生活の質をあげている要因はなんなんですか?
平川 やっぱり身の回りの必要なものを共有しているからですよね。私有してない分だけ出費が少なく済んでる。共有地を使うとそんなにお金がなくても実に快適に生活できるわけですよ。
私有地と共有地が補完し合い、共存する場所
松村 私の後ろに写っているのはエチオピアの農村の写真なんですけど、丘の斜面に畑があって、こっち(右側)はトウモロコシとかが植わっている私有の畑なんです。そして真ん中の低いところは水はけが悪い低湿地みたいなところで、牛の放牧とかをみんなでやっている共有の土地なんです。エチオピアの村では、私有地と共有地って両方があって、私有地である畑に作物が植わっているときは、限られた共有地だけで家畜を放牧する。それが作物の収穫が終わると、一斉に全部の土地が共有の放牧地になる。季節ごとに私有地と共有地が入れ替わって、ちょうどバランスをとっているというか、補完しあっている感じがあります。
平川 それは結構うまくいっているんですか?
松村 そうですね。エチオピアは社会主義時代も経験していて、土地を完全に共有する集団農場のようなものもあったんですが、その時代は評判が悪い。みんなで一緒に働かなければいけないことや、私有財産がなくて、給料も一律っていうことは、平川さんがおっしゃったように個人の自由がないし、自分だけで意思決定ができない。だからそれぞれが自立して生きていくための私有の土地と、バッファーとしての共有地があるほうがいいんじゃないかと思います。
平川 中には「おれは怠けているのがいい」という人もいるわけだよね。いろんな人が生きていけるスキマだらけの場所を作っていかなくちゃいけないんだけど、それは行政には難しいよね。
松村 そうなんですよ。エチオピアでも、行政の人は空いている土地を見ると、「なんで無駄にしてるんだ。ここに木を植えろ」とか言うんですよ。でもここに木を植えちゃうと牛とか家畜の放牧ができなくなる。だから一見無駄に見えるスキマが結構重要なんです。
平川 中途半端がいいんですよね。僕がこの本で提唱してるのはいい加減のすすめであり、いい加減が許される場としての「縁側」の必要性なんです。内でもあり外でもあるっていう、両方の原理が共存している、もしくは両方の原理が及ばない場所。
松村 今の住宅の建て方は全部の土地を塀や壁で囲って、土地の境界に沿ってここまでが私のもの、ここからは誰かのもの、と区切ってしまう。たとえ縁側があっても外から入ってこられない。だから、現代における縁側は「店」じゃないかと。店は誰でも入れて、気に食わなければ買わなくてもいいし、店主に話しかけてもいい。店のすごいところは、小規模であれば誰でも開けるっていうところですよね。みんなが出入りするある種のオープンスペースであり、かつ経済の場所として生活を成り立たせる。今から建物に縁側をつけてもダメなんだけど、街の中に縁側的な場所を増やしていくことはできるんですよね。
平川 そうだね。
共有地的は、すでに街の中にたくさんある
松村 平川さんは自宅にあった書棚を隣町珈琲に移されたんですよね?
平川 そうですね。私以外の寄付もたくさんあって、今隣町珈琲には1万冊くらい担っているのですが、まだまだ増えそうな感じがしますね。
松村 本棚って考えていると、ほとんど眠っていてもったいないんですよね。私有制全般に言えることだと思うんですけど、身の回りに必要なものを全部自分の空間に揃えると、常に死蔵されて使われないものが増えるっていうことですよね。
平川 本って不思議なもので、まわりに全集とか、さまざまな本の背表紙があり、それを眺めながら考えごとをしたり書き物をしたりすることにより、いつかその本を読むことになるってことが起こるんですよ。本にはそういうオーラがあるんですよね。逆に言うと、ある日突然「さあランボーを読もう」とはならないんです。目の端にチラチラっとうつっていて、その積み重ねで読むことになるんです。
松村 だから子どもなんかを連れて行って、隣町珈琲の本棚を見せるっていうだけで教育的な時間になりうるってことですよね。
平川 そうなんです、それが大事なんですよね。自分で本を所有していなくとも、その風景のなかに自分が入っている。たぶんその子は大きくなったときにいろんなものを忘れちゃったけど「昔変なところに親に連れて行かれて、まわりに本があって、面白いところだったな」って思い出すかもしれない。そういう場所は僕にとっても大事な場所だったし、そういうのにちょっと近づけたかなって感じているんですよね。
松村 お店であり、縁側のように開かれていて、本棚に本がただ置いてあるっていう場所。そういう場所が平川さんのイメージする共有地っていうことですよね。そして、それは取り立てて斬新な試みっていうわけではない。新しく珍しいものをこしらえないと国家とか資本主義に対抗できないというよりは、既存の場において、ちょっとしたポイントを押さえると、それが共有地的な場所になりうるところに可能性があるのかなと。それが、私が『くらしのアナキズム』で書いた市場の共同性みたいなものの具体像かもしれません。そういう何気ない場所が、バラバラに無数に街の中にあれば、とても豊かだと思うんですよね。
平川 そうそう。すでにもうあるんですよね。いろんなものはあるんだけど、それを使ってないだけ。あらゆる街の中に眠っている共有地があるんだろうと思います。
(終)
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『ちゃぶ台9』に、平川克美さん×辻山良雄さんの対談、松村圭一郎さんの論考が掲載されています!
5/27(金)に書店先行発売日を迎える(ネット書店は5/31発売)『ちゃぶ台9 特集:書店、再び共有地』。
今号には、平川克美さんと本屋Title店主・辻山良雄さんの対談「小商いをはじめたら、共有地ができてしまった———喫茶店店主と書店店主が語る」や、松村圭一郎さんの論考「『共有地の悲劇』が起きない理由」が掲載されています。ぜひお近くの書店でお手に取ってみてください。
6/16(木)平川克美×三島邦弘「今日から共有地」開催します!
『ちゃぶ台9』と『共有地をつくる』のW発刊記念企画として、平川克美さんと三島邦弘の対談イベントを開催します。オンラインでの視聴のほか、京都の書店・誠光社にてリアル視聴も可能です!