第103回
出口の見えない事態を前に、今できること――『中学生から知りたいウクライナのこと』緊急発刊の理由
2022.06.14更新
本日6月14日は、小山哲さんと藤原辰史さんによる共著『中学生から知りたいウクライナのこと』の発刊日です。
私たちはウクライナ侵攻から1カ月と経たないあいだに、本書の緊急発刊を決めました。
本日のミシマガでは、いまどうしてもこの本を届けたかった理由について、発行人であり本書企画者の三島より申し上げます。
藤原辰史さんによる「はじめに」を公開しております。
『中学生から知りたいウクライナのこと』を緊急発刊した理由
三島邦弘
本書は、第3章、4章「歴史学者と学ぶウクライナのこと」の講義編と対話編が骨格をなしています。そのベースは、本年3月16日に開催されたMSLive!「歴史学者と学ぶウクライナのこと」。この日、ポーランド史研究者の小山哲さんと食と農の歴史が専門の藤原辰史さんに、それぞれ約30分のミニ講義と対談をオンラインで行なってもらいました。その講義と対話を加筆修正したものが、本書の大半を占めています。
ただし、書籍に収録する予定は当初まったくありませんでした。
このオンラインイベントを企画したのは、ロシアによるウクライナ侵攻(2月24日)が起こった数日後です。自分があまりにウクライナのことを知らなさすぎる。そのことを猛省した私は、藤原辰史さんの『トラクターの世界史』(中公新書)を読み直し、独ソ双方に「ふみにじられた」この地のことをもっともっと知らねばならないと痛感しました。そして、藤原さんに「教え」を乞うかたちで、イベントを依頼しました。すると、藤原さんから即答があり、「(ウクライナの)隣国ポーランドの歴史を研究する小山さんとご一緒ならぜひ」と、逆に提案をもらいました。
小山さんと私は、一度挨拶を交わしたことがある程度で、果たして引き受けいただけるかどうか不安でした。結論から言えば、こういうイベントは「不慣れなので心配」とおっしゃいつつも、快諾いただきました。
こうして3月初旬には告知を開始。それから開催までの1週間ほどの間に、小山さんはウクライナの複雑な歴史を紐解く資料をご用意くださり、藤原さんは伊原康隆先生との往復書簡「学ぶとは何か 数学と歴史学の対話」の中で、「ウクライナ侵攻について」(本書2章収録)を執筆。お二人とも、並々ならぬ覚悟で臨んでくださるのが、準備段階からもひしひしと伝わってきました。
そして、当日。
藤原さんはこう挨拶されました。「ふだんのミシマ社のイベントでは言葉がいくらでも出てくるのですが、今回はほんとうに、ひとことひとことを間違えれば取り返しがつかない、という緊張感のもとでお話ししました」(本書181頁)。この言葉通りの緊張感のもと、司会の私も文字通り一語一句も聞き漏らすまいと拝聴しました。
小山さんの講義「地域としてのウクライナの歴史」、藤原さんの講義「小国を見過ごすことのない歴史の学び方」、お二人の対談、そして質疑応答。予定をはるかに超える2時間45分。濃密というほかない時間が終わり、私はただただ自分の不明を恥じました。個人的には、隣国ポーランドに旅したこともあるというのに、ウクライナのことを驚くほど知らなかった。深い反省と同時に、きっとこの思いは自分だけではないにちがいない。そう思うと、いてもたってもいられぬ気持ちに駆られました。
今、私ができること、それはこの二人の言葉を一人でも多くの人たちに届けること、それに尽きる――。
イベントの後、参加者の方々の感想に目を通し、ますますその思いを強くしました。
・歴史を知ることで、ニュースの解像度が上がり、そこに暮らす人々の顔が見えてくるような感覚を覚えました。
・お二人の先生が一言一言を誠意をもって発しておられる姿に心打たれました。今起こっていることを踏まえて、もう一度これまでの歴史をみることの大切さ、また今起こっていることをどういう次元で他人事ではないとらえ方をしていくのかということ、国と人をいっしょくたにせずに、どのように平和な関係を築いていくのかなど、日々の自分の姿勢を改め、問い直す貴重な機会でした。残り続ける問題に対して、安易で一方的な解決に走らず、平和な態度で付き合い続けることを、自分も身近な場で続けていかなければ、と感じました。
・歴史は立場により見え方が異なるということを頭に置いておかねばならないと強く感じた。一方で歴史を悪用する、という表現には現在の日本の歴史修正主義の影も見えて、空恐ろしいと感じた。特に自らの国の過去の過ちを正視せず過小評価することの危うさはもっと広く知られるべきだと思う。
とはいえ、すぐにお二人に書籍化を打診したわけではありません。正式に依頼したのは、一週間後の3月22日。一週間待ったのは、自らの思いが「一時的な熱に浮かされたもの」でないことを確かめたかったからです。一週間後、その熱は冷めるどころか、「出版人として何としてもかたちにせねば」という使命感へと高まり、かつ、「中学生に向ける」ものにしたいという思いも加わりました。
たまたまここに、本書がリアル書店での先行発売を迎える前日(6月10日)の毎日新聞があります。その1面トップには「日本、国連安保理の非常任理事国に選出」、3面には「『沈黙』の安保理、募る不信」と大きな見出し。ロシアのウクライナ侵攻以来、国際連合の無力さに打ちひしがれたのは私だけではないでしょう。今の国際連合では解決へ導くことは無理なのではないか? そんな疑問を抱きつつ、当日の講座に臨んだのですが、はたしてその疑問は揺るぎない確信へと変わったのでした。
その確信は、この日、二人の歴史家が語らずにはいられなかった一語一語、言葉の端々から次のことを痛感せずにいられなかったからです。
――私たちは歴史の学び方を完全に誤ってきた。大国の領土覇権の攻防史や事件を年代とともに記憶する。そこに出てくるのは、あくまでも大国の名前や覇権者の名前ばかり。そこに小国はもとより生活者への想像力が働く余地がほとんどない。そうした歴史の学び方を根本から改め、学び直さなければいけないのではないか。子どもたちには、最初から、小国や生活者へ想像力が広がるような歴史の学び方をしてほしい。そうして育った子たちが、今の国連とはまったくちがう国際組織のあり方、運営のしかたを生み出してくれる。そして現在のような事態が起きたときにも、小国や生活者たちを見過ごすことのなく、現実的に有効な解決策を見つけてくれるだろう。――
そのために自分たち出版人ができることは、私がこの日感じたように、二人の言葉をできるだけ速やかに、一人でも多くの人に広く、深く届くようなかたちにすること。こうした思いを込めて、両先生に書籍化を依頼しました。
「(イベントの)最後にも申しましたが、いま、自分たちができることのひとつは、大国中心主義の歴史とはちがう歴史を、しっかり届けること。
時間がかかることだからこそ、いま、この瞬間に、形にしておかねば、と強く思いました。人々が、問題意識をようやく向けはじめたこの時期に。
しかも、中学生でも読めるような一冊として。
いわゆる学校の教科書ではない、血の通ったことばで、信頼のおけることばで書かれたウクライナの本。
これをできるだけ早いタイミングで残す。
それは、ミシマ社に課せられた使命でもあると感じております。
ぜひ、お力添えいただけないでしょうか。」
このあとに、最終的に採用されることになる本書構成案をつけてお二人へお送りしました。
お二人からは、「本になる可能性を全く考えていなかった」ので、「胸がザワザワとしております」「びっくりしております」という反応がありました。が、同時に、藤原さんからは、「中学生向けであること、緊急で出すこと、そして小山さんと共著であること」を前提で了承の旨が記されていました。小山さんは、「緊急企画でお話ししたことをもとに加筆修正するということでしたら、なんとかがんばってみようと思います」と言ってくださり、そのことを藤原さんにお伝えすると、「やるしかない」と覚悟を決めてくれました。
藤原さん、小山さんという著者のもと、編集2年目の角がアシスタントに入り私とともに編集を担当。こうして緊急企画をかたちにするプロジェクトが始動しました。
動き出して間もない段階で、講義と対談のまとめをお二人へ渡す直前で、どうしても納得がいかず、一度、ゼロからやり直しました。これでプラス一週間近く要することになりましたが、こうした編集上のあれこれは蛇足にすぎないでしょう。カバー用にウクライナ風バルシチを書き下ろしてくださった寄藤文平さん、これ以上ないデザインで本書を仕上げてくれた文平銀座さん、複雑極まりないウクライナの時代ごとの地図を仕上げてくださったマップデザイン研究室の齋藤直己さん。校正、印刷所の方含め、おそらく関係した全員が何らかの使命感に駆られ、これ以上ない仕事をしてくださったような気がしてなりません。
企画からわずか2ヶ月足らずで無事、校了までこぎ着けることができました。それも、「最高」と言い切れる内容と仕上がりで。
両著者をはじめ、自由と平和のための京大有志の会ウェブサイトに「ウクライナ侵攻に関して」を寄稿され、本書への収録を快諾くださった津村記久子さんや、寄藤文平さん、関わってくださった全ての方々に心から感謝いたします。
今はただ、本書が、ウクライナへ思いを寄せる全ての人びとのもとへ届きますように、そして、この国での歴史の学び方が変わっていく何らかの一助にでもなれば、と祈るばかりです。
編集部からのお知らせ
『ウクライナのこと』の「はじめに」をお読みいただけます
ミシマガでは、藤原辰史さんによる本書の「はじめに」を公開中です。
なぜ、ウクライナを「中学生から知る」ことが大切なのか。戦争が起こったときに、歴史学を通じて考えられることは何か。私たちはいかに義務教育で習ってきた狭い歴史観(世界の見方)を崩し、もっと複雑で豊かな、生きた人びとの経験について想像することができるのか。
ぜひ、多くの方に読んでいただきたく思っています。
本書のもとになった対談
本書のもとになったMSLive!「歴史学者と学ぶウクライナのこと」のアーカイブをご覧いただけます。
そもそも、ウクライナという土地はどんなところで、どんな歴史的経験や文化がある? 戦争という事態を前に、私たちが現状を非難し、こうではない世界へと向かっていくために必要な言葉とは?
小山さんと藤原さんの語り口に触れながら、ともに考えるきっかけとなればうれしいです。