第172回
青山ゆみこさんインタビュー
「『元気じゃないけど、悪くない』ができるまで」(前編)
2024.03.20更新
本日3月20日は、青山ゆみこさん著『元気じゃないけど、悪くない』の公式発刊日です(仲野徹さん著『仲野教授の この座右の銘が効きまっせ!』とのW発刊!)。
本書は、50 代を迎えた青山さんが、愛猫との別れ、不安障害、めまい、酒や家族との関係・・・不調のどん底から、小さな行動を積み重ねていき、自分が変わったと実感するまでの日々を綴ったエッセイ。誰の生活にも起こりうる「わけのわからない不調」とつきあっていくための手がかりが詰まった、お守りのような一冊です。
本日のミシマガは、青山ゆみこさんのインタビューをお届けします。不調に陥った日々を本にしてみて、はじめて気づいたこととは? 青山さんはなぜ、「元気じゃないけど、悪くない」と思えるようになった? できたてほやほやの本を手に、担当編集のスミがじっくり伺いました。
(取材日:2024年3月7日 聞き手・構成:角智春)
わたし自身の謎解きノンフィクション
――『元気じゃないけど、悪くない』は、ミシマガ連載「相変わらず ほんのちょっと当事者」がベースになりました。連載の原稿に大幅に加筆いただいて、まったく新しい読み物が生まれたと感じています。
青山 あの連載が本になるとはまったく考えてなかったんです。単発の読みものとして意識して書いていたので、文体も結構ばらつきがあるんですよね。だから、書籍化の提案を受けたときは、嬉しかったけれど、正直なところ、どんな1冊になるのかうまく想像ができなかったんですよ。ただ、連載を出力したテキストを、紙を読み返しているうちに、なにかこう「流れ」が見えてきた瞬間があったんです。
青山ゆみこさん
青山 連載は毎回、「正体不明のめまい」「ほとんど依存症の飲酒癖」「自分ひとりになれる部屋」といったテーマごとの読み切りコラムの体裁でした。見えてきた「流れ」というのは、シンプルに「時間」です。連載で書いた文章を時間の経過、つまり時系列に並べ直してみると、この数年間にわたしの人生に起こったことの断片の記録になっていることに気づきました。記録の断片がすでに書かれているという感じです。
書籍化に際してのリライトは、断片をつなぐというか、その間にあるはずの、でも連載では「書かれていない」ものを、隙間を埋めるように書き足すという作業になりました。だからかなりの部分が書き下ろしになっています。
『元気じゃないけど、悪くない』目次より
――断片的だったものがひとつのストーリーになっていく過程が、とてもおもしろかったです。
青山 自分でも、とてもおもしろかったんですよ。最初はなんとなく思い出して書いていたのが、次第に「状況や背景を洗い出して、裏を取っていく」取材のような気持ちになって。「青山ゆみこ」という人物への取材。取材もののルポルタージュや評伝はたくさんありますけど、書き手が取材対象に24時間、365日くっついて行動を見聞きして書くなんてことは、絶対にできないじゃないですか。でも取材対象が「自分」だったら、それが可能なんだなあって。
――たしかに!
青山 限られた取材期間ではなくて、わたしはすでに「青山ゆみこ」を50年ほど観察してきた。その取材ストックがぜんぶ自分の中にある。すべての出来事をリアルタイムで実録ものとして見てきた(笑)。そんな膨大な記録を改めて整理して、必要な項目で構成案を立てて、時系列で編集してみると、一つの問いが生まれました。「この人はなぜ突然、心身がどん底に不調に陥ったのだろう?」と。この本は、その問いが軸になった、いわばわたし自身の謎解きノンフィクションみたいな一冊なんです。
これはやっぱり、ライターとして長く取材ものを書いてきた経験が大きかったように思います。あと、ノンフィクションのルポルタージュが好きで好んで読んでいるというのも。
年表から当時をありありと思い出す
――そうして本を書くにあたって、まず年表を作られたんですよね。
青山 最初は記憶の整理のような気分で、2020年の12月の「心が振り切れた」前後のことを、手帳を見返して日付を確認しながら、エクセルに打ち込んでいったんです。精神科クリニックに行ったこと、読んだ本のこと。そもそもその精神科クリニックにはいつから通い始めたのか。2020年の6月に猫を看取ったこと、春先に家族が心臓病の入院手術をしたこと、当時はコロナが始まって緊急事態宣言が出されたこと・・・次々と「わたしにとっての事件」がエクセルの表を埋めていったんです。うわあ、2020年はほんとにいろんなことがあったんだなあって。
「心が振り切れた」後のことも同様に、通院記録や、読んだ本の書名、受講したオンラインイベントのタイトル・・・手帳に書いてあるものは、日々のただのメモ書きです。「13時〜婦人科クリニック」なんて感じで。でも年表になっていくものを眺めていくと、そのときの行動背景や、なぜそんなことをしたのか、流れの中でありありと思い出されてくるわけですよ。
例えば、「10時〜部屋探しで二宮(地名)」という数文字から、頭の中が不安で埋め尽くされて、どうしていいかわからなくて、自分だけの安心な場がほしいと突き動かされた衝動や、当時の言葉にならない思いがよみがえってくる。そのときに目にした街の通りの風景とか、匂いまで。
――ああ。
イラストは細川貂々さん、装丁は名久井直子さんに手掛けていただきました。
青山 不調の最中のことって、自分の頭の中では、ぼやっと曇ったひとまとまりの記憶みたいになっていて、時系列もぐちゃくちゃだったんです。でも年表にしてみると、2020年12月から2021年1月にかけて、心が振り切れてどん底の状態になったあと、3月の頭にはもう部屋探しのために歩き始めていることに自分でも驚きました。「引きこもってひたすら寝込んでた」と思っていたけれど、「え、結構動いてる!?」とかね。気持ちの面は不安しかなくて、ひどい自己嫌悪による落ち込みと、絶望ですね。自分はもうダメだっていう。そんななかでも自分はアクションを重ねていた。いや、近所を歩くってだけですけど。それでもわたしには意外だったんです。「動いてる!」「動けている!」と、本当に驚きでした。
なぜ自分が動いていたのか。そのヒントが年表を見るとわかってきたんですよ。歩き始めた直前の2月の中旬、児童文学の小説を読んでいたことが手帳に書かれていたからです。「『秘密の花園』を読む」とぽそっと。そんな手帳のメモが、「流れのなかの出来事(アクション)」として可視化されて、自分の行動の足跡が見えてきたという感じです。例えば、刑事さんが捜査して書き留めた小さな状況証拠から、なにかしらの事実に辿りつくように。
――なるほど。
青山 2月はわたしの誕生月でもあるんですが、とにかく寒いんですよ。その上で、身体不調として刺すように冷えがキツくて、メンタルはどん底で身体も氷点下で、「誕生日なんて最悪や。わたしなんか生まれてきたらあかんかった」みたいなツンドラ地帯で凍えきっているような気持ち。そんな渦中で読んだ児童文学『秘密の花園』には、冬のあとに必ず春がくる、と書かれていたんですよね。四季の変化、移ろいは望むと望まざるとにかかわらず誰にも平等にやってくる。めちゃくちゃ当たり前のことだけど、そのことが疑いなく信じられて救いに感じたんです。わたし自身は変われる自信はまったくなくても、世界が変わってくれる。そんな確信として。自分は変われないけど、自分じゃないものが変わるなら、それに頼ろうという感覚です。だから春が近づいたらちょっと外に出てみようかな、みたいに思えた。その流れも手帳のメモを年表にする作業で、はっきりくっきり思い出せていったんです。
小さい行動の集積が、たった今の自分
――年表を作られたから、あれほど繊細な変化の流れを書くことができたのですね。
青山 自分の変化って、普段、気にしてないし、案外わからないものですよね。
例えば、ある時期にやたら「グリュックにパン(を買いに行く)」と手帳にメモがあったんです。グリュックというのは自転車で10分ほどの場所にあるパン屋さん。年表をつくるにあたり、手帳と並行してスマホの写真フォルダも「洗い出し」したのですが、その頃の写真フォルダを見ると、朝ごはんもやたら写メしてるんです。
そういえば、その当時、生きることにも食べることにもやる気をなくしていたけど、「グリュックのおいしいパンを朝に食べる自分」は楽しみにしてたんだなあと気づく。この頃、朝は5時には起きてたんですが、なぜかというと、早朝のまだ世界が静かで誰も動いていないような中で、好きなお店で買ってきたパンをトーストして、『秘密の花園』とか読みたい本をひっそり読む時間が、とても安心で自分にとって悪くなかったからなんです。
ほんとにめちゃくちゃ小さいことだけど、「これは自分にとって悪くない」ことを、「こんなことをした(できた)」と嬉しくなってメモしてたんですね。そんな小さな小さなことの連続の延長に現在があって、今なんて、逆にもう朝になにを食べたか思い出せないくらい日常を当たり前に過ごしている。それが良いとか悪いとかっていうより、「ああ、自分は変わったなあ」と改めて実感しています。朝食べたものを手帳にメモもしないし、思い出せないことで(笑)。
――なるほど~。
青山 小さい行動の集積がたった今の自分を作っている。つまり、どう動いたかというのが、未来の自分になる。そんなことも渦中で意識するようになりました。それでいくと、2024年3月の今のわたしは、たしかに、過去の自分とはかなりいろんな選択が変わってるんですよ。
家事を一生懸命しないとか、人とのつきあい方を変えるとか。そういうことも、ある日突然「変えます!」「変わりました!」というのではなく、「自分にとって悪くないかもしれない」という選択を少しずつ意識して毎日を過ごすうちに、3年が経ってみると、その前の50年の人生で自分が疑いなく選択してきたやり方とは、ずいぶん変わっていることに気づいた。
なんかね、しんどいな、嫌だなと思っていることを、悪くない、まだこっちの方がましかなと、選んだ結果、それまでなんだかうまくいっていなかったところが変わってくると、わたしとしては生きるのがめちゃくちゃ楽になったんです。生きるって、日々の選択の連続じゃないですか。めちゃくちゃ小さいことの連続。そういうのを変えると、自分っていつの間にか変わるんだなあって今は感じています。
――うんうん。
青山 かといって、誰か他の人から相談を受けたときに、「まず自分が変わりましょう」なんて、絶対に言わないようにしています。わたし自身、他人からいちばん言われたくないし、人に言われたってできない気がしているからです。自分がしんどいときに「自分を変えましょう」なんて言われても、「ハードル高すぎるわ!」と逆ギレみたいな気持ちで思っちゃってたし。「周りが変わってくれ」くらいに思ってるのに。
やっぱりね、それなりに身体的に余裕がないと、「自分を変える」とか、ある意味脳みそに高尚なことはできないと思ってるんですよ。
わたしも、しんどいときは寝転んで、おいしいと思えるものを少しでも食べて、身体への手当みたいなことをしていた時期がまず先にありました。身体がちょっと楽と感じるときに心に余裕が生まれて「やってみたいかも」という気持ちになることを、うっすら薄目で探していく。すると、それに引っ張られるように身体が少しだけ動いて、例えば友達に手紙を書こう、その便せんを買いに行こうなんて思えたりして、心と身体に小さく余裕が増えていくような感覚がありました。
身体と心は行ったり来たりで、一本調子で良くなるということはないんですよ。それは結構不安の大きな要素ではあるんだけど、でも「今はしんどいよ」とか「こっちのほうが楽しいよ」と頭より先に身体が教えてくれる。身体がしんどいことはできないし、しない。そんなふうに身体を信じるということを意識できたのは、合気道の師匠でもある内田樹先生から「身体のほうが頭がいい」と学んできたことが大きいですね。なんか気持ちが落ち込んだり、しんどい気がするのは、あれ、そういえば寒いからだ。腰とかお腹が痛いからだ。そんなふうに身体に教えてもらうという感じで。
*後編は、3月21日(木)に公開予定です。
*『元気じゃないけど、悪くない』の詳細は、こちらからご覧ください。
編集部からのお知らせ
青山ゆみこさんとの読書会が開かれます!
青山さんと本書を読み、語り合う読書会を、奈良の書店「ほんの入り口」さんにて開催いたします。
著者とゆっくり言葉を交わす、またとない機会でもあります。ご縁がありましたらぜひご参加ください。
*悪くなさそうな入り口 著者と読む読書会*
日時:4月14日(日)10時〜11時半
場所:ほんの入り口(奈良県奈良市船橋町1番地)
参加費:1,500円
対象:ほんの入り口にて青山ゆみこさんの『元気じゃないけど、悪くない』を購入した方限定 ※「申込時にすでに購入済みの方は、他の本を購入いただけたら嬉しいです。こそっ」(青山ゆみこ)
定員:8名
お申込み:hon.iriguchi@gmail.com
*神戸の1003さんでも著者在店!
また、3月31日(日)12:30~15:00、神戸元町の書店「1003」さんに青山さんがいらっしゃいます。サインしたり、おしゃべりしたりする時間になる予定です(お申込み不要・無料)。ぜひお気軽に足をお運びくださいませ。