第172回
青山ゆみこさんインタビュー
「『元気じゃないけど、悪くない』ができるまで」(後編)
2024.03.21更新
昨日3月20日、青山ゆみこさん著『元気じゃないけど、悪くない』が公式発刊日を迎えました(仲野徹さん著『仲野教授の この座右の銘が効きまっせ!』とのW発刊!)。
本書は、50 代を迎えた青山さんが、愛猫との別れ、不安障害、めまい、酒や家族との関係・・・不調のどん底から、小さな行動を積み重ねていき、自分が変わったと実感するまでの日々を綴ったエッセイ。誰の生活にも起こりうる「わけのわからない不調」とつきあっていくための手がかりが詰まった、お守りのような一冊です。
本日のミシマガは、青山ゆみこさんのインタビューの後編をお届けします。
不調に陥った日々を本にしてみて、はじめて気づいたこととは? 青山さんはなぜ、「元気じゃないけど、悪くない」と思えるようになった? できたてほやほやの本を手に、担当編集のスミがじっくり伺いました。
(取材日:2024年3月7日 聞き手・構成:角智春)
信頼できる専門家に頼る
――精神科クリニックの診療はどんな感じだったんですか?
青山 実は抗不安薬は効かなくて、睡眠障害に対する不眠のお薬をもらうための月一定期通院というのが習慣になりました。診察室では、「身体が重いけど歩くようになりました」「急に泣いてしまうことがまだたまにあります」とか、定点観測のように自分の状態を報告する。それに対して主治医のT先生が「眠れてる?」「家族とはどう?」と質問をしてくれる感じです。治療法を指示されるわけではないんです。
たとえば、認知行動療法についても、T先生に詳しく教えてもらったわけではありません。ある日の診察の終わり際、「そうやなあ、認知行動療法も今後やってみてもいいかもなあ」って、ほとんど独り言みたいなものをぽろっとおっしゃっただけ。なのに、わたしは「ええこと聞いた!」と前のめりで、病院から出た足で本屋さんと図書館に駆けこんで、片っ端から本を読みはじめて、でも全然わからない・・・と落ち込むっていう(苦笑)。
――さっそく行動されてましたよね。
青山 専門的な心理支援職向けの本は早々に挫折して、どんどん消去法的に「読めそう」と残っていった一冊が、伊藤絵美さんの『セルフケアの道具箱――ストレスと上手につきあう100のワーク』でした。もう少し本格的な伊藤さんの本も読んでいたのですが、「この人は臨床の超専門家にもかかわらず、できるだけわかりやすく書いて、わたしのようにたった今困っている人を助けようとしている人だ」と直感したんです。そういう深い信頼があったので、オンライン講座の告知を見つけて、即、受講を決めました。これは心のリハビリの一つの転機でしたね。
青山ゆみこさん
青山 医療保険制度の中にある精神科クリニックの診察室は、時間に限界がありますよね。医師にパーソナルトレーナーみたいにがっつりつきあってもらうのは難しいかもしれませんが、心のサポートをしてくれる臨床心理士や公認心理師といったカウンセラーという存在もいます。伊藤絵美さんもその一人です。そんな信頼するカウンセラーさんに、心のトレーニング方法を5時間のオンラインイベントと本で並行して教えてもらった。それが基礎トレになったという感じでした。ただでさえ一人でテンパっているので、独学はやっぱり難しい。信頼できる専門家に頼るって、わたしにはとても良かった気がします。
なにが悪いのかがわからない
――この本を読みながら、不調には「こうすれば治る」という正解がなかなかなくて、探り探り対処していくしかない部分が本当に多いのだなと思いました。
青山 本に少し書いたのですが、わたしの心の主治医T先生は、同い年で飲み友達みたいな精神科医の友人(仮にAさん)が紹介してくれた彼の先輩の開業医です。これは書いていないのですが、映画化もされている『心の傷を癒すということ』の著者である安克昌先生はAさんの恩師にあたるんです。そして、T先生は安先生の同期みたいな感じで、中井久夫先生は彼らの恩師というわけです。
わたしは中井久夫先生も、安克昌先生も直接お会いしたことはないけれど、T先生やAさんから、きっとお二人の「人の心に触れるやり方」はこういう感じなんだろうなと勝手に想像していました。「こうしないといけない」とか「あなたのここがダメだ」とか指示されたり否定されたりすることもなく、とにかくすごく興味を持って話を聞いてくれるんですよ。
例えば、「こんなコーピング(ストレスに対処する方法)をはじめました」「オープンダイアローグ(対話の手法)をやってみようと思います」なんて話すと、必ずまず「へぇ~、おもしろそうやね」と興味を示してくれて、「どうだったかまた聞かせて〜」みたいに見守ってくれる。ジャッジも否定もない。その上で、わたしのまとまりのない話に対して、良さそうなものにピッピッと「◎」のタグづけをしてくれるみたいな。そういう形で伝えてもらえたのはとても良かったなあと感じています。
神戸は1995年に大きな地震が起きて、PTSDという言葉を安先生が広められたように、「心は傷つく。それは見えなくても人の心身に大きく影響する。その回復にも人の心が必要」という前提が、街として共有できているように勝手に感じています。中井先生や安先生、彼らのスピリットをどこか共有している精神科医やカウンセラーが多いようにも思うんです。もしかすると、東日本の大震災や、たった今なら能登もそうだし、大きな災害が起きた他の街でも同様なのかもしれません。
だからなのか、神戸は精神科クリニックを受診するとか、カウンセリングを受けることにも、ハードルが低いような気がします。心をケアするって「いいですよね」「必要ですよね」って。
――そういえば青山さんは、精神科にかぎらず、病院に行くことへのハードルがびっくりするくらい低いですよね。
青山 病院に行く、でも原因はわからない。それを繰り返すと、かえってダメージが少なくなるんですよ。打たれ強くなるっていうか(笑)。「そうだよね、やっぱりないよね~」と。でも、とりあえずやっていくしかないみたいな感じで、なんとか予約を取ってました。
心身が不調のときって、なにが悪いのかがよくわからない。わたしの場合は、めまいがあって、その原因を探すとなると、血液検査とかのデータ以外にも、生活習慣とか、遺伝的な理由も検証することになる。
――うんうん。
青山 例えばですけど、最近、「母親との会話がかみあわない」という困りごとがあるとしますよね。その相談にどういう要素が必要か、実はわからないじゃないですか。子どもの頃の生育環境から話せばいいのか、直近の家族間で起こった出来事を話せばいいのか、自分自身が仕事で忙しくなったことが原因なのか。どこから話せばいいのかわからない。
自分というのは、一つの固定されたものではないから、困りごとが起きたときに、どれが原因かと、すごく迷いますよね。病院の問診票では、「こんなことを聞かれても意味ない気がするけど」「これは聞かれないけど、聞いて欲しい」という両方のことを、改めて整理できる機会になった気がします。待合室で、あの小さな枠のなかに米粒みたいな字でコリコリ書くのはめちゃくちゃ大変ではあるんですが(笑)。ただでさえめまいでふぅふぅなってるし。
――たしかに。
青山 しつこいくらいに諦めなかったからわかったことも、やっぱりあるんですよね。めまいの場合は、精神科、耳鼻科、婦人科にまず行って、循環器内科では心臓は大丈夫だけど脳のMRIを勧められて撮ったものの、「脳はとてもきれいですよ」って。その画像を持って循環器内科の先生と「やっぱり問題ないっすねぇ」「めっちゃ元気やね、あなた」と話していたら、ふと先生が「あとはめまい専門医くらいかな」とポロッと。「えええ、なんですかそれは!」と前のめりで、先生の白衣を掴みそうになりました。
――それがめまいの原因をみつけていくことにつながったんですよね。
青山 原因はあくまで推測ですが、対処法を具体的に教えてもらえる機会になっていったんです。どこで誰が自分に必要なことを教えてくれるのか、わからないものなんですよね。
『元気じゃないけど、悪くない』より(イラスト:細川貂々、装丁:名久井直子)
心の草野球
――青山さんはお友達に声をかけて、「オープンダイアローグ」という対話の手法を試していますよね。これがすごく重要だったのではないかと、原稿を読んでいて感じました。
青山 不調のときに、自分のことを自分一人で掘り下げるのはしんどい作業です。それをやるから自己嫌悪に陥って病む。自分の中だけで考えても限界があることは、「心が振り切れた」ときの躁っぽい体験で実感していたので怖かったし。だからまず専門家に頼ったんだけど、もっと普段の日常に良いものはないかな。そんなことを探しているときに「オープンダイアローグ」と出会ったんです。
「オープンダイアローグ」は「対話の手法」だが、複数で集まって話す、聞く。基本はそれだけともいえる。「その人の体験や話を否定しない」「ジャッジしない」「説得やアドバイスをしない」といったシンプルな対話のルールが共有できれば、特別な道具も使わずとも、人が集まればその場は生まれる。
『元気じゃないけど、悪くない』P160より
青山 わたしはもともと社交的で、人に相談したりすることが苦手なほうではないんですけど、はじめてオープンダイアローグをやってみて、それまでの会話といちばん違う感じがしたのは、結論を出したり、アドバイスをされるということがなかったこと。これ、ほんとうに大きかったなあ。結論がなくただ話すことができる場って、他にはなかったから。
病院でもそうだけど、友達になにか相談するときって、「今日の問題(テーマ)はこれです」とか、議題の提議というか、「自分ではこう考えていますが、どう思いますか」なんてふうに人との会話を進めないといけない気がしてたんです。でも、オープンダイアローグの場合はそんな必要がまったくない。めちゃくちゃとりとめない、ほんとにただの雑談のような場なんです。だからこそ、その場でしか話せないこと、言葉に出せることがあるんだなとやってみて感じています。
青山さんが不調の渦中に借りて、講座を受講したり、オンラインでオープンダイアローグをするようになった仕事部屋
――そういう対話の機会は、わたし自身も全然ないなと気がつきました。
青山 今、困りごとがある人たちの自助グループ的なものはどんどん増えつつあって、それはすごく良いことだと感じています。同時に、「困りごとが起きる」それより前の段階に、つまり困りごとに至らないでいられるような、そういう場が日常的にもう少しあればいいなとも思います。
複数のチームで、オープンダイアローグ的な、おしゃべり会のような場を定期的に継続していますが、実はほとんどの場で具体的な困りごとの話をしているわけではないんです。最近見た映画や読んだ本について感想をシェアしたり、猫のせいで睡眠不足だけど、皆さんどうですか、とか(笑)。時にセンシティブな相談もありますが、なんでしょうね、入り口はどんなテーマでも、お互いの言葉を心から聞き合おうとすると、話が深まって、会の終わりにはそれぞれが「これが知りたかったんだな」ということに結果的に辿りつく。不思議なんですが、そんなことが起きます。
――オープンダイアローグ、やってみたいです。本で読んだだけだと不思議な感じで、ちょっと想像がつかない部分があって。
青山 わたし自身は、森川すいめいさんの『オープンダイアローグ 私たちはこうしている』という本の刊行イベントで、森川さんや、担当編集者の白石正明さん、漫画家の水谷緑さんたちが模擬ロールプレイをされているのを見て、それがすごく参考になりましたね。言葉にならない沈黙なんかも大事にするので、言葉で説明するのが本当に難しいんですよ・・・。
でも、わたしが『まんが やってみたくなるオープンダイアローグ』を読んでやってみたように、とにかく誰かとやってみるのもいいんじゃないかな。
わたしの関わっているチームには、ほぼ専門家はいません。本を読んで、人を傷つけないように基本のルールは共有して気をつけて、あとは「心の草野球」みたいな気持ちで気楽にやっています。やり方も、草野球的にアレンジして、めちゃ適当ですよ。誰も批判しない、話を遮らない、人の話を聞く、安心な原っぱでゆるゆるやってる「草オープンダイアローグ」です。劇的になにかが変わることはなくても、悪くない。悪くないだけで、「なんかいいよね」ってみんなが思うので続いているのかもしれませんね。
――心の草野球、いいですね〜!
「回復」ではなく「元気じゃないけど、悪くない」
――青山さんはこの本で、今のご自身のあり方について、「回復」とはちがう気がする、と書かれていますよね。
青山 決定的に調子を崩したときの自分と、今の自分とでは、身体も動くようになっているし、変な不安を掻き立てられることもなくなった。明らかに変わっている。でも別人なのかといったら、そんなことは全然なくて、「自分」は地続きなんです。なんだろうなあ。明確な線が引かれて、「元気な自分」と「元気じゃない自分」がいるわけじゃないんです。
例えば身体のどこかに腫瘍ができて、それを切ったので無くなりました、というようなものではないんですよね。「不調だったとき、なにがあかんかったん?」みたいなことを言われても、正直よく分からない。逆に、少し調子がよくなって「なにがよかったん?」って聞かれたときも、「なにがよかったんですかねぇ・・・」みたいな。
でも、ほんとうにいろんなことをやるなかで、さっきお話ししたように、「これは悪くない」とタグづけされたものが自分の中に増えていって、そのタグがいっぱいついた自分でいるかぎりは、不安定でどうしようもない自分と、比較的安定している自分との間をゆらゆらしながら、どちらにも振り切れない気がするんですよね。
わたし、この先もスーパー元気でスーパーポジティブなすごい人を目指しているわけでは全然ないんです。寝込んで動けなくなるほどしんどくならなければいいんじゃない、っていうくらいの低くてゆるい目標設定です。
――実は、この本には最初、「絶賛リハビリ中!」という、やや勢いのある仮タイトルがついていたんですよね。でも青山さんが、ちょっとちがう気がするとおっしゃって。
青山 ミシマガジンの連載当時は、「絶賛リハビリ中」という表現も使っていたけど、時間の経過を経た、たった今のわたしの感覚とは違ったんです。
連載で「絶賛リハビリ中です!」って書いた2023年6月~7月って、「来年の自分はもっとしゃきっと元気になっている」と思い込んでいたんですよ。でも、めまいも完全には消えないし、めちゃくちゃ元気でもない(笑)。でも、そんな自分を「まあ、悪くはないよね」って思っています。
本を読んでくださる人のなかにも、リハビリをやってもうまくいかない、そんな自分を受け入れなきゃいけない、苦しい、という方がおられるかもしれません。でも、もしかするとわたしと同じように「悪くない」ってことがあるかもしれない。いや、きっとおありなんじゃないかな。それを肯定できたらいいなというタイトルですね。自分にとっても。
自分の変化を本にすること
――この本を書かれたことは、心にとって良かったですか?
青山 自分が小さなことを積み重ねて変わっていったという事実が、形として残るのはとても大きなことですよね。ここにちまちま書き連ねていることを読めば、自分が変わったという事実を忘れない。
不調のときに、専門家に泣きついて、仲間に頼って助けてもらって励まされて・・・。自分ひとりで思考がぐるぐるしちゃって、どうにもならなかったところから抜け出すには誰かの力が必要だと痛感した3年でもありました。
本をつくることも、ひとりではできませんよね。編集担当のスミさんといちいち細々と話をして、カタチにするのはデザイナーの名久井直子さんが自分では想像もできなかった表現を提案してくれて、テキストしか書けないわたしに描けないものを細川貂々さんが絵にしてくれる。雑でゆるい文章を、きゅっきゅと絶妙に磨く提案をしてくれる校正者の牟田都子さん。いろいろな方にめちゃくちゃ助けてもらって、本というカタチになって、ミシマ社の営業チームが動いてくれて、それを直接読み手に届ける専門家である本屋さんが加わって・・・。これだけ専門家がいるわけだから、自分ひとりでは絶対にできない、やらない。もうわたしの気分的にはそれぞれの専門家に「全おまかせ」なんですよ。
――そしていよいよ読者の方々に届いていきますね。
青山 書いた本を読んでくれる人は、わたしにとって話を聞いてくれる人なんです。いまの時代、「人の話を聞かない」ってよく言われるけど、読者がいるというのは、「話を聞いてくれる人がいる」ってことですよね。自分の話をわざわざお金を出して聞いてもらえるなんて、わたしにとっては「悪くない」。
なんていうのかな、生きる価値がないとか、そんなことは思わずにすむっていうのかな・・・。自分だけでこっそり抱え込むのではなく、「書く」「読む」という行為を通じて、本という具体的なモノをみんなと共有しながら関わっていく。そういう関わりのすべてが、わたしにとって悪くない。とても大切な、ありがたいことだなって感じています。
――じっくりとその輪を広げていきたいと思います。今日はありがとうございました。
青山 ありがとうございました。
本屋さんで展開中の本書のポップです。
(終)
*最後までお読みいただき、ありがとうございます。書籍『元気じゃないけど、悪くない』の詳細は、こちらからご覧ください。
編集部からのお知らせ
青山ゆみこさんとの読書会が開かれます!
青山さんと本書を読み、語り合う読書会を、奈良の書店「ほんの入り口」さんにて開催いたします。
著者とゆっくり言葉を交わす、またとない機会でもあります。ご縁がありましたらぜひご参加ください。
*悪くなさそうな入り口 著者と読む読書会*
日時:4月14日(日)10時〜11時半
場所:ほんの入り口(奈良県奈良市船橋町1番地)
参加費:1,500円
対象:ほんの入り口にて青山ゆみこさんの『元気じゃないけど、悪くない』を購入した方限定 ※「申込時にすでに購入済みの方は、他の本を購入いただけたら嬉しいです。こそっ」(青山ゆみこ)
定員:8名
お申込み:hon.iriguchi@gmail.com
*神戸の1003さんでも著者在店!
また、3月31日(日)12:30~15:00、神戸元町の書店「1003」さんに青山さんがいらっしゃいます。サインしたり、おしゃべりしたりする時間になる予定です(お申込み不要・無料)。ぜひお気軽に足をお運びくださいませ。