第178回
最相葉月さん初のエッセイ集『なんといふ空』復刊のお知らせ
2024.08.08更新
デビュー30周年記念企画、第二弾です
こんにちは、京都オフィスのノザキです。本日8月8日(木)、最相葉月さんのエッセイ集『なんといふ空』が、全国の書店で発売になりました。本書は、最相さんが2001年に発表した初のエッセイ集。23年の時を超えて、このたびオリジナル版でミシマ社より復刊いたします。『母の最終講義』につづき、最相葉月さんのデビュー30周年記念企画、第二弾です。
嘘だ大げさだと思われるかもしれませんが、できあがった本を手にしてから1カ月近くが経過するのに、わたしは『なんといふ空』が復刊したということを、まだ信じられていないような、ふわふわした気持ちの中にいます。
2006年の創業から約200点の本を刊行してきたミシマ社にとって、はじめての復刊。そしてこの企画、半年前にはおそらく誰も、まったく夢にも思っていなかったことでした。
『母の最終講義』刊行後のできごと
今年の1月に、『母の最終講義』を刊行しました。
(内容と、発売前日の興奮の様子は、ぜひこちらの記事をご覧ください。)
これまで『辛口サイショーの人生案内』『辛口サイショーの人生案内DX』などの読み物や、瀬名秀明さんとの共著『未来への周遊券』、産婦人科医の増﨑英明さんとの共著『胎児のはなし』などの対談本をご一緒してきた最相葉月さんが、2024年で書き手としてのデビューから30周年と聞き、それは何かとっておきのことができたらなあ、という思いがわき立ちました。
そして、南日本新聞「朝の文箱」の連載原稿を中心に、近年に書かれたエッセイを中心にまとめてできたのが『母の最終講義』です。
ライターとしての仕事の傍ら、約30年にわたり母の介護をつづけてきたこと、余命宣告を受けた父と交わした対話、『証し 日本のキリスト者』の取材中に訪れた介護の考え方の変化など、ノンフィクションを本業とする最相さんの、ノンフィクションの作品ではあまり表面にでてこない気持ちや考えがにじみ出た、とても素敵なエッセイ集です。
刊行直後から、編集部にはたくさんの読者はがきが届きました。「気持ちが前向きになりました」「同世代の最相さんの経験を今読めてよかった」など、ご自身も両親を看取ったという方、社会福祉の仕事についている方、現在も介護の日々を送っている方からのお手紙がつぎつぎと。最相さんの言葉が本当に多く方の心を支えているのだということを、あらためて実感した瞬間です。
新聞や雑誌などの媒体からも、著者インタビューの依頼があり(ほんとうにたくさん!)、そこで語られた最相さんの言葉は、ウェブでもいくつか読むことができます。
そして、こうした本の感想とともに、寄せられた言葉の中には、
「最相葉月さんの他のエッセイも読んでみたいです」
「『なんといふ空』がなかなか手に入らなくて残念です」
という声もありました。
最相さんはこれまでに『最相葉月のさいとび』『仕事の手帳』など、いくつかのエッセイ集をだされていますが、すでに絶版になっているものもあり、古書を探してもらうほかないのだろうか・・・。
こうした経緯で、この企画が動き出すことに。本の絶版、初の復刊。このあたりは、代表のミシマが今回の本に寄せた文章を、以下に転載します。
復刊に寄せて
一冊入魂を掲げて2006年10月にミシマ社は創業しました。一冊入魂に込めた思いには、今の書き手の方々と今のことばで書かれた本を出していく、というのがあります。私たちが享受している出版文化も、その時代、その時代に、「生きた」書物が生み出されつづけたからこそ。先人たちのそうした努力に対する感謝の念を、今この瞬間にしか生まれない、この時代の書物を出すことで表してきたつもりです。以来、現在に至るまで、「ちいさな総合出版社」として、絵本、エッセイ、人文、文芸、多ジャンルにわたって約200冊の書籍を刊行しております。
また、当初より、絶版をしない方針を打ち出し、それを実現してきました(気合いで!)。
「なぜ、そんな無茶をするのですか?」とときどき訊かれます。理由は、いたって簡単。読者が読みたいと思ったときに読める。それを実現したいからです。こう思う背景には、私が少年時代、本屋さんを訪ね、ある本を注文したら、「絶版で手に入らない」と言われ、どうしても納得できなかった経験があります。「なんで、僕が買って読むから、刷ってくれたらいいやん」。少年の私は、こう言い返しました。あるロットで刷らないと、原価率が上がりすぎて、出版社の経営がきつくなる。今では当然と思っているその理由も、少年には理解できませんでした。その少年の思いに応えたい。それが、「絶版をしない」をつづけている理由の根っこにあります。
とはいえ、刊行点数が増えるにつれ、どんどん困難になってきているのが実情です。在庫がなくなるたびに増刷をしたものの、その後、ほとんど動かず、増刷分がそのまま残る。そうしたことがたび重なっていくのは、経営上、よろしくないのは論を俟たないでしょう。これからどうするか。この数年、ずっと考えつづけておりました(その解決への試みは別の機会に)。
そんな折、本年最初の刊行物である『母の最終講義』を出した直後から、著者である最相葉月さんの初エッセイ集『なんといふ空』を読みたいという声がいくつも聞こえてきます。私自身、読み返すと、『母の最終講義』のプレエピソードとも言うべきエッセイが少なくない。そして、2冊を読むことで、楽しみは倍増する! と実感しました。ですが、残念ながら他版元では絶版となっているため、ほとんどの人は読めません。ならば、この本を読めるようにすることは、『母の最終講義』を発刊した自分たちの責務である。一冊入魂で出した本を、しっかり、さらに生かすには、それしかない。このように思うに至りました。
こうして、初めて復刊という試みをおこなう次第です。
一冊入魂のあらたなかたち。多くの方々に喜んでいただけますことを願ってやみません。
(ミシマ社 代表 三島邦弘)
ミシマ社通信番外編、も見逃せません
こうして『なんといふ空』は、復刊に至ったというわけです。
『母の最終講義』が近年のエッセイを中心に構成したのに対し、『なんといふ空』に収録されているエッセイは、98年~01年頃に書かれたものです。約20年の時の移り変わりと、文章の中に残っている当時の空気、最相さんの言葉を通してひろがる読書の世界を、楽しんでいただければうれしく思います。
さて、ミシマ社の本の中に挟まっている「ミシマ社通信」。
『母の最終講義』には「わたしと最相葉月さんの本」と題して、ミシマ社の編集チームメンバーが、最相さんの著書をそれぞれの読書の記憶とともに紹介しています。そして今回の『なんといふ空』では、「最相葉月さんのエッセイ」と題して、最相さんのエッセイを堪能していただくために「最相葉月さんの(ほとんど)全著作年表」というものをつくりました。ノンフィクション、対談本、エッセイ・・・という本の形式も、テーマも、多様な最相さんの本の仕事が一覧できる、個人的にとても感慨深いペーパーです。ぜひこちらも本と合わせて、ご覧ください。