ほんのちょっと当事者ほんのちょっと当事者

第17回

父のすててこ。(1)

2019.09.27更新

 

お知らせ
この連載が本になりました。ぜひ書籍でもご覧ください。
『ほんのちょっと当事者』青山ゆみこ(著)

 地域の「寄合場」を立ち上げた、と以前に書いた
 ご近所さんを中心に、性別も年齢も問わずなんとなく「居る」ことができる場所がつくれたらいいな。
 母や父が介護や看護でいろんな方のお世話になったことも強く影響している。恩返しじゃないけれど、自分が助けてもらったように、そして異なるカタチになるだろうけれど、誰かの役に立てたら。そんな単純な思いがまずあった。

 飲食店を営む近所の友人が共感してくれて、彼が一人で切り盛りしているバルは夜営業が中心なので、空いている昼の時間にお店を使わせてもらえることになった。
 場所を確保したものの、黙ってぼーっとしているだけでは誰かが来てくれる訳はない。人が「集う」には目的がいる。思いついたのが「金継ぎ」だった。

 金継ぎとは、割れたり欠けたりした陶磁器をうるしで接着・穴埋めし、継ぎ目を金や銀などで飾る修理法だ。単なる補修ではなく、金や銀を纏った器が新しい姿で甦ることが魅力でもある。
 ただ、うるしを使うことで手がかぶれたり、少しずつ乾燥させて作業を進めるため時間もかかる。初心者にはいささかハードルが高い。

 そのため、植物性の樹液を主原料として、うるしに似せて開発された合成塗料である「新うるし」を使った、簡易的な金継ぎがある。材料費も本うるしを使った金継ぎの10分の1程度で済む。欠け部分の補正には合成樹脂のパテを使うため、2時間ほどでひと通りの作業を終えることができる。

 東京の荻窪で、さまざまなワークショップやイベントを主宰しているロクジゲンのナカムラクニオさんが、ここ10年ほどこの簡易版金継ぎを広めるべく各地でワークショップを開催しており、わたしも一度参加したことがあった。

 本うるしを用いた金継ぎを施した器とは、使用による劣化などに差はあるかもしれないが、捨てようかと迷っていたような半端な器を、初心者でも簡単に「また使える」「見た目に美しい」状態にもっていけるのは嬉しい。

 不要になったモノに、また息を吹き込む金継ぎ。そういう趣旨なら、高齢の方が興味を持って参加してくれるかもしれないとも考えた。
 簡単なのに「モノづくり」に通じる面白さがあること、仕上がった器が「自分だけの作品」のように思えることもあり、毎回好評で、幅広い年齢の男女が参加してくれた。

 その日に持ち帰るには、塗料を乾燥させる時間が必要となる。それを利用して参加者みんなの自己紹介タイムとした(ナカムラクニオさんのワークショップを踏襲して)。

 すると、子どもが小さかった頃に使っていたプレートで、実は100均で購入したお皿なのだけれど、思い出が詰まっているので捨てられない。1995年の神戸の地震時に2つが割れたものの5客セットだからそのまま置いていた。今は介護が必要で料理のできなくなった母が好んで使っていた大皿だから・・・。

 生活と密着した器には、日常の風景が宿る。そんな家族のエピソードから、現在抱えている困りごとなどを話してくれる方もいた。一人の話に他の参加者が共感したり、誰かの話に「実はわたしも・・・」と打ち明けてくれたり、ちょっとしたオープン・ダイアローグの場ともなった。

 最近は定期的に開催できていないが、この寄合場には「くるくる」という名前をつけている。実はこのネーミングが先にあった。

 思いつきの発端は個人的なものだ。
 母が亡くなった後のこと。兄と弟のわたしのきょうだいは、父を引き取って自宅で介護するのは難しかったため、父は介護付きの高齢者施設でお世話になっていたことを以前に書いた。

 そうなると、両親が二人で暮らしていたマンションは無人となる。交代で窓を開けて空気を通したり、静かに積もる埃を拭いたり掃いたりしていたが、人の気配のない家の空気は、それだけでなんだか気を滅入らせる。
 空き家だと察したのか、ベランダには目敏く鳩が棲み着くようになり、フン害も発生し始めた。鳩は人の気配を感じると姿を隠したが、ある日、弟が産みたてほやほやの卵を見つけた。ちょうどその頃、介護施設で過ごす父がわたしたちに呟いた。

「もうマンションは売った方がええんちゃうか」

 その必然性を薄々感じていたけれど、妻を亡くした人間から家まで奪うような提案はさすがにできない。でも誰よりも先に父があっさりと提案してくれたことで、わたしたちは少しほっとした。そういえば父は、昔から物事を合理的に考える人だった。

 後から思えば、それからほどなく認知症の症状が強く出はじめた父名義の不動産を、そのタイミングで売却できたのは結果としてベターだった。
 認知症などの判断能力が不十分な人の不動産の譲渡や売却は、権利擁護の点から、司法制度である成年後見制度の公使など、とても煩雑な手続きが必要となってくるからだ。

 売るとなれば、まず家を空っぽにする必要がある。気が進まずにずるずると保留にしていたが、いよいよ本気で整理に取り組まざるを得なくなった。
 まず父の衣類など必要な分を持ち出して、あとは形見分けのように家族のそれぞれが手元に置きたいモノを持ち帰った。

 2、3年前、母はまだ体力のあるうちにと、なにかを予感していたのか自分なりに家の中を整理し、不要なモノを処分していた。それでも、「暮らす」とは「モノに囲まれる」ことで、どの部屋、どの収納部分にもモノが溢れかえっている。

 空間を埋めているのは両親のモノであるはずなのに、食器の一枚から、家具や細々とした生活雑貨などのほとんどが、なぜか「母のモノ」に思えた。それを選んだのが母だったからだろう。家庭という場が、いかに女性の手で切り盛りされているのかも考えさせられた。

 母がいなくなってまだ間がないせいか、マンションの隅々にまで母の気配が濃く漂っている。そんななか、彼女が手にしていたであろうモノをゴミとして処分することは、想像していた以上に精神的負担が大きかった。

  父が生きているので正確には遺品ではないが、やっぱりある意味で遺品整理のような作業が続く。父がこの家に戻ることはもうない。その事実も幾度となく胸を締めつけた。

  実はわたしはそのマンションに一度も住んだことがない。
 両親がそこに転居したのは、父が脳梗塞で倒れて商売を畳み、それまで暮らしていた少し広めの一軒家を売却したためで、わたしはそのタイミングで彼らと離れて一人暮らしを始めたからだ。

 そのマンションの思い出には、自由の利かない身体と高次脳機能障害の影響なのか性格も変わって一気に老け込んだ父と、その父を一身に支えて、会う度に疲労感を深く顔に刻む母の姿ばかりだ。
 そんな空間で、一人でごそごそとモノを選別し、ゴミ袋に詰めていると、「老々介護の場から逃げ出した」自分の過去を否応なく突きつけられて、自分で自分を責めずにいられなかった。

 その上で母のモノをゴミとして扱うことは、彼女の生きてきた足跡まで無下に扱っているようで、どうしようもなく苦しかった。
 母を大事にできなかった分、せめて遺されたモノだけは・・・。
 そんな気持ちで、夏の暑い盛りに何かに取り憑かれたように、時間を見つけてはマンションに通うようになった。

 もう長く車を運転していないため、自宅からキャリーバッグをがらがら引きながらバス、電車、バスと交通機関を乗り継いでマンションに足を運び、食器類や茶器や雑貨など、母が特別に扱っていた覚えのあるものを片っ端からバッグに詰め込んだ。帰り道は、闇市にでも行ってきたかのように、両手にいっぱい、背中のリュックにずっしりと荷物を背負って。

 持ち帰ったモノは友人限定のSNSなどにアップして、引き取り手を募ったり、さらには好んでくれそうな人に、こちらから「もらってもらえないか」と持ちかけたり。今思えば狂気の沙汰ではないか。そんなの断れるわけないよね。
 冷静さを欠いたわたしは、自己満足だけで、必死になって実家のモノを誰かに押しつけ続けた。

 モノを運び、譲渡先を決めて、梱包して、郵送する。そんな日々にふた月ほど没頭しただろうか。もうこれ以上はどこにも譲りようがない。ある日、きりがついた。その瞬間に異様な熱意が消えた。
 母の死に対する通過儀礼だったのだったのだろうか。その日から、わたしの心は少しずつ平穏を取り戻していった。と同時に、自分がくたびれ果てていることにも気がついた。

 実家の整理をしながら、歯が抜け落ちるように母のモノが消えていく部屋の風景は、母の不在を強烈に感じさせ、彼女の気配が漂っていたときとは異なるカタチで、心をかき乱した。

 最終的に、弟が知り合いの業者に頼んですべてを処分してもらったが、立ち会っても良かったけれど、もうそんな気力さえ残っていなかった。
 今もって、あのときの自分の行動がよく理解できない。ただ、なにかしていないと耐えがたい空虚が襲ってくるような気がした。

 にしても、遺品整理はキツい。

 しばらく寝込んでようやく気力が戻ってきたある夜、夫と食事をした帰りに、後に寄合場「くるくる」の拠点ともなる友人のバルにふらりと寄った。お酒も本格的に飲めるので、マンハッタンをオンザロックで注文すると、どこか見覚えのあるずしりと重いカッティングのきれいなグラスが目の前にすっと差し出された。それは母の大切にしていたグラスだった。

 店主の友人は、そうそう、という顔で笑っている。お店で使ってもらえたらと、その知人にも十数個のグラスを引き取っていただいていたのだ。ふとカウンターの横に目を向けると、他にも懐かしいグラスで楽しそうにお酒を飲んでいる人の姿が飛び込んだ。ぽっと胸があたたかくなり、無性に泣きそうになった。どこかで母が笑っているような気がした。

 遺品がゴミになると、遺された人はいろんな意味で傷つく。でも、他の誰かの大切なモノになれば、モノはまた生きかえる。そうして遺した人の思い出まで生きかえらせてくれる。

 モノがそうやってグルグルくるくると循環すれば、いろんな場所に幸せが増えるのではないだろうか。
 ただ、遺産整理の経験上、できるならば「遺品」となる前の、持ち主の元気な間に、自らの意思でモノを整理して、譲る側、受け取る側の双方が納得するやり方でモノを移動させられたら・・・。モノは単なるモノではなく、「贈りもの」として思いも一緒に循環させることができるかもしれない。

 というところから、「くるくる」という名前で、いつか思いとモノを循環させる場をつくりたいと思い立ったのだ(説明長いっ)。

(つづく)

青山 ゆみこ

青山 ゆみこ
(あおやま・ゆみこ)

フリーランスのエディター/ライター
1971年神戸市生まれ。大学卒業後、アパレルで4年間デザイナー職に従事。27歳で出版業界に転職し、『ミーツ・リージョナル』誌副編集長などを経て独立。2006年よりフリーランスのライター・編集者として、単行本の編集・構成、雑誌の対談やインタビューなどを中心に活動し、市井の人から、芸人や研究者、作家など幅広い層で1000人超の言葉に耳を傾けてきた。著書に、ホスピスの食の取り組みを取材した『人生最後のご馳走 淀川キリスト教病院ホスピス・こどもホスピス病院のリクエスト食』(幻冬舎)。親の看取りや認知症の介護をとおして社会福祉に関心を深めるようになり、地域の寄合場「くるくる」を立ち上げて、実践的に「社会福祉とは何か」を考え中。

編集部からのお知らせ

この連載が本になります!
2019年11月末に刊行予定です。ぜひお楽しみに。

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