第32回
メンバーが選ぶ、小田嶋隆さんの本と言葉
2024.06.26更新
小田嶋隆さんが亡くなられて、早くも2年が経ちました。
時が経てば経つほど、小田嶋さんの一貫した言葉の投げかけ方を通して、自分は社会の見方を教わっていたのだということに気づかされます。
本日のミシマガでは、一昨年、『小田嶋隆のコラムの向こう側』を刊行した際、ミシマ社のスタッフが、小田嶋さんの本と言葉を紹介した記事を、再掲します。(編集チーム・星野)
左から、『小田嶋隆のコラム道』『上を向いてアルコール』『小田嶋隆のコラムの切り口』
『小田嶋隆のコラム道』
ネタは、何もせずに寝転がっているときに、天啓のようにひらめくものではない。歩いているときに唐突に訪れるものでもない。多くの場合、書くためのアイディアは、書いている最中に生まれてくる。というよりも、実態としては、アイディアAを書き起こしているときに、派生的にアイディアA'が枝分かれしてくる。だから、原稿を書けば書くほど、持ちネタは増えるものなのである。(p76-77)
小田嶋さんが初めて、本業である文章術を語った本。その名も「コラム道」。
書き出し、オチ、執筆のモチベーションetc・・・「こんなに種明かししちゃって大丈夫ですか!?」となるほど、コラムがどう生まれているかを解説くださっています。
「オチをどうつけるか」というテーマのコラムを、どう落とすか逡巡したオダジマさんが採用したオチは(笑)? ぜひ本書で確かめてください。(ヤマダ)
『上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白』
先生の言うには、アルコールをやめるということは、単に我慢し続けるとか、忍耐を一生続けるとかいう話ではない。酒をやめるためには、酒に関わっていた生活を意識的に組み替えること。それは決意とか忍耐の問題ではなくて、生活のプランニングを一からすべて組み替えるということで、それは知性のない人間にはできない、と。(p116)
大人になってしまえば、自分を変えることはなかなかできることじゃない。ましてや、飲酒やスマートフォンなどへの依存からは、そんなに簡単に抜け出せないと思ってしまいます。しかし、自分を「坂道でボールが止まっているみたいなもの」である「断酒中のアルコール依存者」と分析されていた小田嶋さんは、自らの生活を観察しながら、自らの趣味である音楽鑑賞やスポーツ観戦の対象を一変するなど組み立て直し、その危ういバランスを取り続けました。人間、捨てたもんじゃないと勇気が出ます。知性バンザイ!(スガ)
『小田嶋隆のコラムの切り口』
いずれにせよ、執筆者の意図や技巧を軸に、書く側の視点からコラムの種明かしをした書籍は、これまでに本邦では出版されていなかったものだと自負している(p3)。
私には毎週、手紙(実際はLINEですが)のやりとりをする叔父がいます。
手紙では、「こう言われているけど、僕はこう思う」とエッセイ風に書いてみたり、「たしかに〜だ、しかし〜」と評論家気取りのことを書いたりもします。突き詰めれば、この「一歩譲って三歩歩む」構文のみで書いてきた、というのが恥ずかしながら本音です。
『小田嶋隆のコラムの切り口』は、小田嶋さんの意図や技巧を軸に編集されたコラム集です。
オチの持っていき方、分析を装った本音の述べ方など、読み物としてはもちろんのこと、論の進め方がとってもおもしろく、読了後、「こんな書き方もありなんだ!」「この文章の着地はどこへいく?」と新鮮な驚きがたくさんありました。
今、さっそく、叔父の手紙にどの技巧を盛り込もうか、考えています。小田嶋さんの物書きとしての凄さを、ひしひしと感じる名著です。(ニシオ)
ミシマガジンでいますぐ読める!小田嶋さんの言葉
小田嶋 隆×仲野 徹 「依存」はすぐとなりに
たとえばスマホを置き忘れて、外に出て1日過ごさなきゃいけなくなったと。そのときの、あの、心の中に風の吹く感じ?(...)あれは明らかに依存症の症状なんですよ。酒飲みが酒を飲めないときに非常にそわそわして、イライラして、最終的にひどい憂鬱に陥っていくっていうのと、心理的にはほとんど一緒です。
『上を向いてアルコール』刊行を記念して行われた、大阪大学医学部教授(当時)の仲野徹先生との対談。
「アル中」になったことのない仲野先生が、素朴な問いを次々に投げかけます。それに応じて小田嶋さんは、自らの治療の体験や、酒をやめる前後での感覚の違いなどを、「酒をやめるのは失恋に似ている」「『アルコール依存症』ではなく『アル中』と呼ばなきゃだめ。なぜなら...」など、当事者ならではの生々しさで語っていきます。私は読みながら、「なるほど、おもしろい! でも、ちょっとこわい・・・」とどんどん引き込まれました。
書籍に綴られている小田嶋さんの体験が「自分にもありえるかも」とぐっと身近に感じられるお話ばかり。「一杯飲もうかな」と考えるときの爽快さ、ほろ酔いの心地よさに年々目ざめていってしまっている20代後半の私こそ、まさに、立ち止まって耳を傾けておくべき言葉でした。『上を向いて~』に興味をもってくださった方は、まずこの対談から読んでいただくのもいいかもしれません。
二人の掛け合いがとにかくおもしろく、小田嶋さんのあの絶妙な語りの言葉遣いも堪能できる、ファンにはたまらない文章でもあります。(スミ)
後藤正文×小田嶋隆 文章を「書く」ことについて
文章の定型を意識して書くと、能率的だし意味も伝わりやすくはなるんだけど、絶対につまらなくなる。イチローも野茂も王貞治も、野球の基礎とは対立するフォームなんですよ。小学生レベルで直されるような特徴を持ちながら、世界の一流プレイヤーになった人が何人もいる。
後藤正文さん著『凍った脳みそ』が刊行された2019年12月に行った対談。ミュージシャンでありながら、巧みな文章に称賛の声が集まる後藤さんと、日本最高峰の名文の職人である小田嶋さんが、ずばり「書く」ことをめぐって語り合いました。
ひとはなにかで成長したいと願うとき、ある一本の軸をもたないと進歩できないものだと思います。ですがある一定のライン、またはその分野の超越したところにいくためにはその一本の主軸(太い幹)を根本的に疑い、いつかは切り捨てなくてはいけないときがくるとも思います。それはとても勇気のいることで、未知で恐ろしいことです。そして簡単にことばで説明できることではありません。
でもこの記事を読めば、どっしりと、お二方が明るく背中を押してくれます。まわりが右と言ったら頑なに左にしか行かなかったようなちいさい頃のわたしが、もしこんな格好良い大人に出会えていたら、きっと目を輝かせていたでしょう。(オオボリ)