第31回
イスラム、アフリカ、多様な他者と共生していくために(前編)
2022.09.18更新
2022年3月、『教えて! タリバンのこと 世界の見かたが変わる緊急講座』著者の内藤正典先生と、京都精華大学前学長のウスビ・サコ先生による対談が行われました。
異なる価値観を持った人たちが、水と油のように対立するこの時代。地域や文化の垣根を越えて生活してこられた両先生とともに、他者と生きていくためのヒントを考えました。
「外人」「外国人」という呼び方は日本にだけある? 大学の語学の授業では、生きるためのコミュニケーションを学べない? 欧米はイスラム世界に対する見かたと同じ見かたを今のロシアにも向けている?
国際社会の構図も、日常の景色も、どんどん変わって見えてくる。そんな対談の模様を、2日間にわたってお届けします。
(構成:角智春)
「エイリアンカード出してください」
内藤 『ウスビ・サコの「まだ、空気読めません」』(世界思想社)、とてもおもしろく読みました。サコ先生が空港の入管で、日本のパスポートを見せているのに「在留資格はなんですか」と訊かれたという話が出てきますよね。
サコ はい。それ、おもしろいですよね。
内藤 日本の国際空港では、長いこと、外国のパスポートで入る人たちの入国審査のゲートには「エイリアン(Alien)」と書いてありました。授業で学生に、「いまは Foreign passportと書いてあるけど、その昔はエイリアンだったんだよ」と話すと、みんなギョッとするんです。
サコ ははは。我々は外国人の在留カードの提示を求められるときに、「エイリアンカード出してください」と言われていました。あとは、顔を見ながら「エイリアンですよね?」と訊かれたことも。
内藤 日本では以前は外国人のことを「外人」と呼んでいましたが、差別的な含意があるため使わないようになりましたね。「外人と言っちゃいけない」と頭で知っている学生は増えてきました。ところが、諸外国ではなんと呼んでいるのかというとは全然知らない。
サコ うん。そうですよね。
内藤 サコ先生はフランスに行ったら何と言われるのですか?
サコ 国名が多いと思います。「マリ人」とか。あるいは「西アフリカ系」とか。まとまった名前、つまり「Alien」とか「外国人」とか「外人」というのはないですね。もっと特定してくれます。
内藤 フランスにマリの方が多いからですかね。
サコ いや、基本的に外国の雑誌の取材では「アフリカ出身」とか「マリ出身学長」と書かれるけれど、日本のテレビにだけ、テロップに「黒人学長」と書かれましたね(笑)。
内藤 フランスの場合は、かつての植民地だった北アフリカ・西アフリカから、いろんな国の人を移民として受け入れていますよね。ですから、たんに「外人」ではなく、マリ出身なのか、ニジェール出身なのか、マグリブなのか、ということを分ける。
ところが、ドイツは日本と同じで「外人」=outsider というカテゴリーを使うことが多いです。ドイツは、アフリカにおいてはナミビアくらいしか植民地が無かったし、第二次大戦後に労働力が足りなくなってから受け入れたのは、トルコや、ギリシャ、スペインの人。植民地からの移民にあたる概念が無かったんですね。だから「外人」という言い方が一般的なのかもしれません。これは日本の状況に似ていると思います。
サコ なるほど。民族構造の問題がありそうですね。自分たちがひとつのまとまった民族だと思い込むと、どちらかというと排他的になりやすい。これは「よそ者コンプレックス」かもしれません。だから、フレーム化して、そこに追いやってコントロールするということになります。
中国、留学生いっぱいおるやんけ
内藤 サコ先生は中国の北京と南京にも留学しておられたんですよね。
サコ 中国には、改革開放制度が打ち出された1980年代に行きました。当時の中国には、大まかにいえば「これから伸びるぞ、でも管理もするぞ」というふたつの路線があったんです。中国人の愛国心が失われないようにかなり強い政治・思想教育が行われる。その一方で、私たち外国人は、これからどうやって中国を国際化していくのかということを試す実験台のような感じでした。適度な距離が取られつつも、ときどき厳しく取り締まられる、という待遇でした。
一方で、日本に来てみると、中国に比べて政府の管理は少ないのに、社会的制約はたくさんあるんですよね。
内藤 なるほど。
サコ 政府は何も言わないのに、人びとが外国人と関わることを躊躇するんです。私は日本に来たあと語学学校でフランス語講師のアルバイトをしていたのですが、生徒からよく「この人と友達になっていいのか?」とか「悪い人じゃないの?」と相談を受けました。外国人とどう関わるのか、自分で決めるのが難しいのですね。
中国では、あんまりそういう悩みが無いんです。政府は個人を止めようとするけど、個人が自粛するということはあまりなかったんですよ。だから中国人とのあいだにはあまり壁を感じなかったです。
内藤 先生の学生時代に、中国や日本に留学したマリの人は珍しかったんじゃないですか?
サコ 中国では、改革開放制度の導入と同時期の1970年代にはアフリカからの留学が始まっています。私が留学した年は、マリから14名で一緒に行きました。当時、留学生が中国語を勉強する場所だった北京語言大学には、800人以上の留学生が居たんです。
内藤 ほー、すごいですね。
サコ もう、びっくりしました。アメリカ人、ドイツ人、日本人、いっぱいおるやんけと。中国に派遣されると決まったときには、自分たちはアフリカと中国の政府が何かをやるうえでの実験台にされるんだなあと思ったのですが(笑)、中国には各地からの留学生がめちゃくちゃいました。
内藤 中国が早くから若い留学生を大勢受け入れていたというのはすごいですね。日本にはそれが足りませんでしたね。
サコ 日本は躊躇していたように思います。中国は、留学させて教育するだけではなく、その後の政策にまでも巻き込む。日本には世界でトップレベルの奨学金制度があるにもかかわらず、留学生があまり日本の利益につながっていないですね(笑)。交流のチャンネルにすらなっていない場合が多いです。
前提として、所詮コミュニケーション
内藤 日本の大学では、第2外国語でフランス語や、ドイツ語、ロシア語、中国語などを学べますが、そのウェイトはどんどん下がってしまって、あるときから英語だけ学べばいいという風潮になりました。
サコ 残念なことですね。
内藤 いまやフランス語やドイツ語でさえ少なくなってきています。たとえば、今ロシアとウクライナが戦争をしていますが、ロシア語を学んできた学生さんはすごく少ないですよね。
サコ 私は第2外国語がロシア語だったんですよ。マリでは、第1外国語が英語。そのあとに学ぶものとして、ドイツ語、アラビア語、ロシア語など。地域によっては中国語とスペイン語もありましたね。
内藤 フランス語は、お国の言葉だから・・・。
サコ そうです、フランス語はマリの公用語なので「外国語」ではない。第1外国語は日本と一緒で英語。第2は自分で選べます。
内藤 先生が学長をされている(当時)京都精華大学でも、いろんな言語が勉強できるようになっているんですか。
サコ スワヒリ語を含む15近くの言語が勉強できます。でも、選択肢を増やしたら増やしたで、身につかなくて中途半端だと批判が出たりもしますね。
私が語学の授業の数を増やしたのは、世界にいろんな言語があるということにまず触れてもらいたかったからです。語学の先生のなかには「それでは深く学べないじゃないか」と言う方もいるのですが、そもそも、言葉は1セメスターでできるものじゃないですからね。まずは言葉の存在を知ってもらいたいと私は思っています。
内藤 文学の研究者ばかりが語学を教えるのはよくないかもしれませんね。
日常のコミュニケーションがとれる、新聞が読める、簡単な手紙が書ける。それぐらいでいいじゃないかと言って、語学の先生と揉めてしまうときがあります(笑)。「文学の香りがしないとダメなんだ」と。でも、もうすこし言葉をふつうに使って、学生さんにとって世界が広がる、そういう語学の勉強が大学で行われてもいいんじゃないかと思うんです。
サコ そう思います。やっぱり言葉は、コミュニケーションの手段であるということを前提にしないと。もちろん、そのうえで美的な機能として詩や文学を勉強したらいいと思うのですが、前提としては、所詮コミュニケーションですからね。それさえできてないというのは問題だと思います。
サバイバル語を学ぼう
内藤 もちろん英語はできたほうがいいのですが、少しでも現地の文化を知ろうと思ったら、たとえ語彙は少なくてもその土地の言葉を学ぼうとしないといけませんね。
私がシリアでフィールドワークをしたときは、学校で習ったアラビア語では全然通用しませんでした。私は砂漠化の研究をしていたのですが、農民たちに、どれくらい井戸を掘っているか、どれくらい水がもらえるのか、どんな作物を作っているのか、ということを訊くとき、教科書で習った話し方では通じなかったし、むしろ警戒されました。
サコ そりゃそうですね、彼らの日常は違うからね。でもやっぱり、自分の限界まで相手とつながろうとする姿勢が大事ですよね。通じない瞬間の必死さは、相手にもめちゃくちゃ伝わるじゃないですか。「この人は何か求めてるんだな」と。歩み寄りが生まれることがまた大事だと思います。
内藤 シリアの農村で調査をしていたとき、農民と話をしていてね、大きな牛がいたんですよ。牛に隠れて見えなかったんですが、その向こうに軍の基地があった。気がついたら兵隊に取り囲まれて、みんな私に銃を向けてるんです。シリアの軍隊はソ連製のカラシニコフを持っている。性能の悪い銃だって言っても、3メートルぐらいのところで引き金引けば当たりますからね。
とにかく必死で、アラビア語で「おれは怪しい者じゃない、許可証も貰ってるんだ」と、口の中をカラカラにして訴えました。これが私の限界ぎりぎりの瞬間でした(笑)。
サコ ははは。楽しそうじゃないですか。
内藤 無理もないですよね。そんな村に外国人が来て、話を聞いてまわっていたらスパイと同じです。注意をしていても、一瞬の判断ミスでそういうことが起きちゃう。
だから、サバイバルのためにも、いろんな外国語を知ってた方がいいと思うんですよ。
サコ そうだと思います。そういう意味で、私は学生たちに、まず英語ぐらいは覚えとこうよと言っています。海外に行くときも、シリアであろうがどこであろうが、ファーストコンタクトで「I am ...」とか、それぐらいはしゃべろうよと。一から新しい言語を学ぶのは間に合わなくても、とりあえず簡単な英語を「サバイバル語」として学んだらいいんじゃないかなと伝えています。
編集部からのお知らせ
サコ先生のお話をもっと聴きたい方へ
去る9月8日、ウスビ・サコ先生への公開インタビューを行いました!
テーマは、「サコ先生、『母語』ってなんですか?」。
バンバラ語、マリンケ語、ソニンケ語、英語、フランス語、中国語、「関西弁」・・・生まれたときから複数の言語に囲まれて生きてきたサコ先生にとって、「母語」とはどんな言葉なのでしょう?
サコ先生の家族のエピソードや、おすすめの言語学習方法など、おもしろい話題が盛りだくさんです。
このインタビューは、2022年12月刊行の『ちゃぶ台10』にも掲載予定です。お楽しみに!
この対談を、全編動画でご覧いただけます!
本対談のアーカイブ動画を配信中です!
ここには収めきれなかったお話もたくさん。ぜひ、下記をご覧ください!