第31回
イスラム、アフリカ、多様な他者と共生していくために(後編)
2022.09.19更新
2022年3月、『教えて! タリバンのこと 世界の見かたが変わる緊急講座』著者の内藤正典先生と、京都精華大学前学長のウスビ・サコ先生による対談が行われました。
異なる価値観を持った人たちが、水と油のように対立するこの時代。地域や文化の垣根を越えて生活してこられた両先生とともに、他者と生きていくためのヒントを考えました。
「外人」「外国人」という呼び方は日本にだけある? 大学の語学の授業では、生きるためのコミュニケーションを学べない? 欧米はイスラム世界に対する見かたと同じ見かたを今のロシアにも向けている?
国際社会の構図も、日常の景色も、どんどん変わって見えてくる。そんな対談の模様を、2日間にわたってお届けします。
(構成:角智春)
「急進化した」ムスリム?
サコ 私たち西アフリカの人間がヨーロッパを見るときは、アルジェリアが中心になることが多いです。アルジェリア戦争があって、フランスに一部の人が逃げた。彼らは比較的リベラルな層で、どちらかというとフランス文化に浸かって、ワインも飲むし、フランスっぽい生活をする。でも、アルジェリア独立後に起こった移民の第2波は、ムスリム厳格派でした。
フランスにおけるムスリムの世界観は独特ですね。パリのアラブ世界研究所を見にいったことがあるのですが、「アラブ世界」と「イスラム世界」は違うのに、ムスリムが出てくるところが多い。違いをどう捉えているのか、すごく微妙です。
内藤 アラブ世界研究所もパリの大モスク(Grande Mosquée de Paris)も、フランスの国家がアラブ世界やイスラム世界のことがわかっていると示すために作ったようなものですね。
サコ あのモスクはオリエンタリズムの象徴ですね。観光客が大勢来て、モロッコティーが飲めるところとか。
内藤 アラブ世界はこういうものだ、というのを見せる。
サコ そう。ファンタジーがずっと続いています。それを破ることは、実は移民の人たちにもなかなかできなかった。移民には、フランス文化の一員であろうとする人も、自分たちがもともともっていた文化を貫く人たちもいて、さまざまな立場があります。私もパリのアフリカ出身者のところに行くと、厳格なイスラム教が色濃く残っているのがわかります。
ニューヨークに行ったときも、現地のイスラム社会には、ガンビアモスク、ナイジェリアモスク、西アフリカモスク・・・と、いろいろある。
それを見たときに、「多文化性」と「多様性」の混ざり合う境界線はどこなのかということを考えさせられます。
内藤 残念なことに、9・11の後になると、欧米各国で「どのモスクが危険で、どこのモスクはいいのか」ということが言われるようになりました。地図に印がつけられるんですよね。
だけど、実際に中に入って話してみたの?と訊きたい。話していないんですよね。「これは〇〇という集団の△△というグループのモスクだからダメだ」という考え方に陥っています。
サコ フランス語でいうと、radicalisé(急進化した人)という言葉もできてしまいましたよね。友達がたまたまモスクにいてそこに挨拶に行っただけで「彼はいつからradicaliséになったのかな」みたいなことが言われる。自分が前提とする文化を超えた交流ができないんですね。
内藤 基本的に、ほとんどがイスラムに対して厳しいですよね。「いやいや、私たちはイスラム教徒みんなを嫌っているわけじゃない。急進化した人だけがダメなんだ」と言われるけれど、一体その「急進化したか、していないか」をどこで見分けてるのでしょう。
サコ ひとりでめっちゃコーランを勉強して、めっちゃ厳格にやったら、その人は急進化したということになるのか(笑)。ふつうに宗教的慣習をもっているだけで急進的とみられちゃうわけです。
フランスは、共和制のもとでみんなが平等であるとし、ライシテ(政教分離)を掲げました。そこでは、「多様性」は重んじるけど「多文化性」は重んじない。つまり、文化や思想のもとに集まるグループはダメなんですよ。
内藤 そうですね。
サコ ムスリムであろうが、それ以外であろうが、個人の自由は認めるけれど、グループになることは認めない、ということを都合よくやっているんですよね。
とにかく一回テーブルにつかないか
サコ 先生はどうやってアフガニスタンやタリバンのことに関わるようになったのですか?
内藤 まず2010年に同志社大学で、当時のアフガニスタンのカルザイ大統領と学生の対話集会をやったんです。政権側だけの話を聞くのもつまらないということで、翌年には、政権に反対している元タリバンの人びとを呼んで研究会を行いました。
そうこうするうちに、2012年にアフガニスタン平和構築のための和平会議をやることになりました。当時、すでに欧米諸国はアフガニスタンの和平交渉はもはや無理なのではないかという見方をしていたのですが、中田考さんがカタールのドーハに行ってタリバンと交渉したら、イスラムの法学者ということで信頼が得られて、タリバンが参加を承諾したんです。その後、当時の政府側の特使にあたる人も参加を申し出てきました。
私はタリバンに政治的なシンパシーを抱いているわけではありません。でも、敵対しているんだったら、とにかく一回テーブルにつかないかと呼びかけたのです。
サコ それはそうですね。
内藤 最初から対話しろとは言わない。自分が言いたいことを言うだけでもいい。でも、まず傾聴することからスタートしなければ。お互いが何を言っているのかは、強いバイアスのかかったメディアの報道からだけではわからないでしょうと。
会場はあくまで大学で、グローバル社会について勉強したい学生が来て、何を質問してもいいということにしました。政治家などは一切入れませんでした。そうしたら、対立するタリバンと政権側が京都で初めて同じテーブルについたんですよ。
サコ なるほど。
内藤 それでもね、やっと会議が開けると思ったら、当日になってタリバン側が「やっぱり政府側と一緒に座るのはやだ!」と言い出したんです(笑)。
そこで私は、「私はあなたたちを客人として招きました。そのあと、政府側からも参加したいと申し出があった。私は彼らのことも客人として受け入れると決めた。私が客としてお迎えすると決めた人について、文句を言うのですか」と言ったんです。彼らは、ホストである私の顔を立てるために、それ以上は何も言ってきませんでした。
サコ なるほどなるほど。いいですね。
内藤 会議は両者が言いたいことを言って大変だったのですが、最後にもう一度「あなたたちを客としてお迎えしたのだから、ひとつぐらい合意をしてください」とお願いしました。
タリバンと政権側は「外国の軍隊はアフガニスタンから出て行くべき」という点で合意しました。この一点については、政府のほうも認めたんですね。そこから対話がスタートする。やっぱり、外から軍隊が入ってきたり、ミサイル飛ばしたりしているところで話すことはできません。
サコ そうですね。当然難しいです。
プーチンはEUが作った怪物
サコ 私たちはアメリカやヨーロッパが語るアフガンを見ていますよね。でも、実は欧米が語るアフガンと言っても、20年前と今とは違います。見方を変えていて、かなり肯定した時期もあったし、否定した時期もあった。
でも、アフガン社会のなかを見ると、完全に乱れているわけではない可能性が高い。それぞれの固有の文化を見ていくときにそこを注意しないと、表面的なジャーナリズムに流されてしまうと思います。
今のウクライナとロシアの問題も見るときにも、プーチンは悪いと言われますが、そのプーチンを作ったのははたして誰なんだろうと。プーチンは、ヨーロッパ、EUが作った怪物ですよ。
内藤 結局、冷戦が終わったのは、ソ連が自滅して崩壊したからであって、アメリカや西欧が勝ったわけじゃなかったんですよね。でも、欧米は勝ったと思い込んだ。
2004年にEUの東方拡大が起きて、バルト三国からポーランド、ハンガリー、チェコ、スロバキアまで、ぜんぶEUに入りました。それでプーチンはひどいコンプレックスと恐怖を感じた。ヨーロッパはもう少し考えて動くべきだったと思います。
サコ 冷戦の構造を維持しつづけただけなんですよ。敵か味方かで分ける。自分たちがやっていることが文明、先進だと思い込んで、それ以外は敵、あるいは遅れているとみなす。でも、プーチンをもっと仲間に入れて、一緒に何か考えたらいいわけです。
冷戦構造は無くなっていない。ベルリンの壁の崩壊後と言いながら妄想ですよ。西側諸国のエゴがより前に出ただけです。西側に住んでる私たちは今までの市場制度で本当にいいのかどうかを考えるべきですね。格差が広がって、苦しんでいる人がいる。そこに私は矛盾を感じていて、どうしていくかを考える必要があると思います。
内藤 ソ連が崩壊したころ、ヨーロッパは新しい敵としてイスラムを発見するんですよね。イスラム教徒はもとからヨーロッパにいたのに、彼らに対して突然、危険だという非常にシンプルなレッテルを貼ってしまう。そして、アルカイダのビンラディンのような人物が、ヨーロッパ側の思っているとおりの反応をして、テロを起こしてしまう。そこからの20年間は、イスラム教徒にとって非常に難しい時代になります。
つまり、ヨーロッパやアメリカは、今プーチンに対して取っているのとおなじ態度を、イスラム世界にもずっと向けてきたんです。
日本にできたかもしれないこと
内藤 戦争を止める枠組みを作るとしたら、こちらが正しいんだ、だからお前たちは従え、という態度では絶対にできません。仮に正しかったとしても、言われてる側が「うん」と言うはずがない。
私はトルコが専門で、ウクライナについての報道は毎晩トルコのメディアのものを見ています。トルコのスタンスは完全に独自のものです。ロシアともウクライナとも関係を維持してるんですよ。
サコ トルコはウクライナにドローンをいっぱい売っていますしね。
内藤 そうですね。そして、原発やミサイルシステムはロシアからきています。
アメリカ主導の制裁には応じません。どちらの立場もけなしたり貶めたりせず、関係を保ったままイニシアティブをとっていかないと戦争は終わらない、と示しているんですね。
サコ 私はそういう態度を日本に期待してたんですよ。いわゆるアメリカとヨーロッパの味方でもなく、ロシアの味方でもなく、中立を持ちながら知恵をしぼって解決に導く。日本がこれをするチャンスだったのではないかと思います。西側諸国としての振る舞いをせず、もっと賢くやれたんじゃないかなと。
内藤 完全にアメリカの言いなりに動いていますよね。
サコ 日本の立場はデリケートなんですよね。トルコと一緒で、いろんな意味で実は欧米側にもロシア側にも近いんですよ。だから、ヨーロッパとは違う視点で考えないといけない。いまはみんながカッとなっている時期ですが、ある面では、EUが固まれば固まるほど日本は被害を受けるはずなんです。そのあたりを冷静に見ていかないといけません。
内藤 そういう観点からの報道はほとんどなくて、色分けしておまえはどっちの味方だ、みたいな考え方になってしまう。だけど、そのなかで犠牲になってくのはふつうの人たちですからね。
サコ そうなんですよ。どういうふうに手をさしのべて救うか、ということにもっと取り組むべきだと思います。制裁すると発表しても、戦争で死んでいく人にとっては得でもないですよね。だから、もっと難民や避難民を受け入れたりすべきだし、国民の関心もまだもうひとつ足りないのかなという感じがしますね。
(終)
編集部からのお知らせ
サコ先生のお話をもっと聴きたい方へ
去る9月8日、ウスビ・サコ先生への公開インタビューを行いました!
テーマは、「サコ先生、『母語』ってなんですか?」。
バンバラ語、マリンケ語、ソニンケ語、英語、フランス語、中国語、「関西弁」・・・生まれたときから複数の言語に囲まれて生きてきたサコ先生にとって、「母語」とはどんな言葉なのでしょう?
サコ先生の家族のエピソードや、おすすめの言語学習方法など、おもしろい話題が盛りだくさんです。
このインタビューは、2022年12月刊行の『ちゃぶ台10』にも掲載予定です。お楽しみに!
この対談を、全編動画でご覧いただけます!
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ここには収めきれなかったお話もたくさん。ぜひ、下記をご覧ください!