高橋さん家の次女 第2幕

第33回

畑は続くよどこまでも

2024.09.17更新

 『わたしの農継ぎ』が、この度、めでたくミシマ社から出版されました。よっ! ありがとうございます。まだまだ畑の達人になるには長い道のりですが、何かを始めようとしている皆さんが、一歩を踏み出せるきっかけになってくれたら嬉しいです。

 残暑がなかなか厳しくて、冬野菜いつ植える?と悩ましい。杉くんと母が、じゃがいもを植える土の準備はしてくれているけど、

 植える→ゲリラ雨→35度ビカーン→腐る。

 というのは目に見えている。10月に入ってからでいいのかもしれん。ただ、一日一日、日照時間は短くなっていくから、あまり先延ばしにしすぎても育たないだろうな。気温は上がっていても、日照時間は平安時代とほぼ変わらないもの。

 農業をはじめて、地球ってのは奇跡の星だったんだなあと、宇宙飛行士みたいなことを思うようになった。様々な条件がぴたりと揃ってはじめて植物は育った。その奇跡のバランスが崩れはじめている今、昔に比べたら野菜作りも難しくなったな。

 米騒動でも思ったけれど、食べ物がスーパーに並んでいることも奇跡だったんだ。

 夏の畑は赤ちゃんの夜泣きみたいだ。昼間(春や秋、冬)はかわいいかわいいとみんなお世話してくれるけど、夜泣きの夏がきたらお母さんに任せて去っていく。

 夏の早朝の畑の美しさを、ここから一万字くらい書ける。

 だけど、しんどさも二万字くらい書ける。

 メンバーたちも、夏は殆ど畑に来なくなる。その気持ちもよく分かる。息しとるだけでしんどい。

 去年私が熱中症になったこともあって、「夏は畑を休みにしよう」と話し合ったんだけど、いざ夏が来ると・・・そうも言ってられん。梅雨から夏は草がすさまじく伸びる。誰かが、最低限維持しないと秋が再起不能になるだろう。

 今夏は、働き者のおっくんがいないので一人で乗り切るしかないと覚悟した。全部合わせても4反程。専業農家の友人に比べたら大したことない。何とかなるだろう。

 てなわけで、この夏は6月半ばから8月下旬まで約2ヶ月愛媛に帰った。

 まずは、梅雨明けする前に草刈りだ!あっちの畑もこっちの畑も、畦道も、水路も、のびのびだった。近隣の方々がみんな畑をやめたので、水路や水源の草刈りも殆ど一人でせねばならなかった。でも、梅雨時期はまだ涼しいので、楽勝です。

 1週間後、次はサトウキビ畑。草刈り機だとキビを飛ばしてしまうので手刈りが基本だった。

 5月下旬にみんなに手分けして草引きをしてもらったので、去年に比べたら全然まし! それでも、草はサトウキビの背丈を抜いていた。これも一人で・・・と思っていたら、6月下旬、始発電車に乗って、岡山から画家の加藤休ミさんが来てくれた。今、加藤さんと黒糖の絵本を作っていて、昨年の収穫も手伝いに来てくれていた。

「雨の畑も神秘的で美しいですね」

 二人でカッパを被って、話をしながら草を引き続けた。

「虫も住んでるから少し残した方がいいよね」

 様々なバランスで成り立つ畑界だ。株の中に食い込んでいるのや大きいのは抜き、小さいものは少し残した。疲れたけど、楽しい時間だった。こうして畑の三分の一の草引きが終わった。

 翌日からは、母が手伝いにきてくれた。

 しばらくすると、軽トラが止まって中からなんと父が出てきた。

「どこをやったらえんぞ」

 連日、畑の作業でへばっている私を見かねて来てくれたのだろう。黙って父も草を抜き、飽きたのか1時間でまた何も言わず帰っていった。畝間は山ぴーさんがトラクターをかけてくれていたから助かった。

 翌日、杉くんと母と、サトウキビ畑に入れる発酵堆肥をもらいにいった。本の中にも登場してくる、80代のご夫婦がやっている養豚場だ。豚糞に、籾殻や米ぬかを混ぜて丁寧に発酵させている、やさしい肥料だった。

 軽トラの荷台に板を立て、おばあさんがユンボでどさーっと堆肥を入れてくれる。タイヤがぎゅぎゅっときしんだ。

「今日は暑くなるから気をつけるんよ〜!」

「はーい!ありがとうー」

 お礼に家で焼いたパンを渡し、堆肥とともに畑に戻る。

 本では石垣メンバーとして登場する、ロードレーサーの杉くんは、私が愛媛にいないときも毎週水曜日に母と一緒に数時間畑をするようになった。

 都会っ子の杉くんは、畑が新鮮な遊び場で、毎週楽しみにしていると言った。ただ、一緒に歌わないし、ライブにも来ない。メンバーともつるまず、淡々と畑だけに来て、終われば自転車で颯爽と帰った。それはそれで清々しかった。

 おばあさんに借りた雪かき用のシャベルで、荷台から一輪車に堆肥を入れて、えんやこらえんやこら株の間にまいていく。まだ梅雨明けしてないのに何て暑さ。汗が滝のように流れた。午後三時をまわったところで、身の危険を感じ撤収。まだ半分以上終わってないけど、やめどきが肝心と学んだ。暑さに慣れているロードレーサーでも夏の畑はヤバいと言った。確かに、下り坂がないもんな。梅雨明けが恐ろしかった。

「ちょっと、これイノシシが出たんじゃない?」

 母がサトウキビ畑に大きな穴を見つけた。

「ほんまや......」

 マンホール大の穴があけられ、サトウキビの株が掘り起こされていた。この畑は山から離れているから動物が出なかったのに。近くの耕作放棄地にすみかを作って、夜になったらうちの畑にミミズを食べに来ているんだろう。

 その翌日も、やっぱり荒らされている。こりゃいかん!

 母と入り口の直線に、金網を張った。こんくらいはお手のものじゃ。猪はこなくなった。

 しかし、少し前から気になっていたヨコバイという虫が大量発生していた。高温が続くと発生するようだ。

 連日、さまざまな手作りの消毒を散布した。たとえば、サラダ油とお酢と焼酎を混ぜたものとか、他にも無農薬農薬(唐辛子やハーブ、お茶、ニンニクなど混ぜたもの)に牛乳を混ぜた、めっちゃまずそうな液体も。

 まるでヤミ鍋大会のようだ。

 カメムシやアブラムシには効いていたのに、どれも全くきかなかった。

 ヨコバイさんは甘いものがお好きと聞き、ファンタグレープに洗剤を入れたものを置いたり、益虫である蜘蛛を隣の耕作放棄地で大量に捕まえて移したり、光センサーの殺虫マシンなんかも試したけど、尽く駄目だった。

 最終的に、一番確実だったのは、手で叩くこと(軍手はいてますよ!)だった。母は気持ち悪がってやらなかった。私は、サトウキビ全滅の恐怖により、ネジがぶっ飛んでしまっていた。1叩きで10匹くらい倒せた。数万の虫に手で挑む狂気よ。

 連日叩きすぎて手のひらが内出血してきた。あざ笑うかのように孵化した虫がぱーっと飛んでいく。みんな飛ぶようになってきて、だんだん倒せなくなっていった。こんな小さな虫に翻弄されるって東京じゃ想像もつかんことで、生きてるといろんなことがあるなあと思った。

 サトウキビ師匠の山ぴーさんに電話をしてみる。

「その虫で枯れるいうんは聞いたことないから、大丈夫と思いますよ。もう農薬まきなさいよ。え? 手で叩きよんですか。わっははは。また時間あるときに行きますから、まあ頑張って、ようけ倒してください」

 笑い飛ばしてくれて、少しほっとした。

 数日後、うそ! 残してた草が全くない。山ぴーさんの高速手刈りは神業だ。蜘蛛やトンボが住めるよう草を残してたんです......とは言えなかった。心配して見に来てくれたことが、何よりありがたかった。

 いよいよ化学農薬散布を考えたとき、農家の友人が、

「畑の力を信じてみたらどうだろう?」と言った。

 遅かれ早かれ、単一栽培をしていたら、いつかは直面することだよと。黒糖作りのため、サトウキビだけは単一栽培をしていた。

 手伝ってくれる人が増えるにつれ、絶対に失敗してはいけないというプレッシャーも大きくなっていた。そうやな、畑の力を信じて待ってみよう。

 数日後、どしゃぶりの雨が降った。カッパを着て畑に行くと、ヨコバイが少し減っている!

 数週間後、一回り成長した株からはヨコバイがいなくなっていた。細いのにはまだいるけれど、心底ほっとしていた。こうして、一つ一つ経験を積んでいくしかないんだな。根気強く。

 一番過酷なこの季節、いつも一緒に畑に出てくれたのは母だった。自分の畑もあるのに、「かまんよ」と言って。今思うと、私がけっこう極限だったのを見抜いていたのだろう。孫と相撲をしても負けてしまう母が、畑に出るととても大きく見えた。母は聞かない限り、殆ど何も教えてくれない。でも、母のアドバイスで植えた野菜は明らかに良く育った。野菜ごとに、ちょっとしたコツがあった。母の師匠は近所のおじいさんおばあさんだったそうだ。もうみんな亡くなったけれど、そのノウハウは母に継がれ、そして私がきっと継いでいきたい。

 連日、早朝5時から9時までと、夕方5時〜8時に作業をした(休みの日もある)。

 本の出版も佳境だったので畑を休もうと決めていた期間も、結局やることがてんこもりで畑に出ざるをえなかった。畑に出ても、知らないと、やることが見えないのですぐに終わる。全てのことに言えるけど、それが見えてきてからが面白くなるのではないか。

 ちょっとだけと思って、畑に出てしまうと、次から次に見えてきて、気がつくと一日が終わっていた。ひー!やってしもたー!だから私は二拠点生活をしている。東京だと畑が見えないので、諦めもつくのだ。

「新規メンバー募集のちらしを配ってみたら?」

と、心配した母が言った。この夏場に・・・来る?

 7月半ば、いきつけのカフェでちらしを配ってもらうも・・・一人も連絡こなかった!! そりゃそうだよねえ。

 でも、遠方から来てくれる人は増えている気がする。早朝、高知から若い衆が4人で来てくれたり、主任も東京から数日間、長野から来てくれた子もいた。短期だから頑張れるというのもあるかもしれないし、こんな真夏に手伝いに来るというのは、もはや愛だろう。

 東京に帰って数日後、帯状疱疹になった。自分がとうに限界を超えていたとやっと分かった。この間まで農薬なしでヨコバイに立ち向かっていたのに、毎食後7錠も薬を飲んでいるリアル。人間はチグハグだ。

 痛みで眠れない夜、ラジオやテレビをつけるとニュースは米不足でもちきりだった。「高温障害」という言葉を初めて聞いた。昨夏から、うちの畑でもゴーヤや豆類が真夏だけピタリと眠ったように成長を止め、秋になるとまた成長をはじめたが、あれも高温障害だったのかもしれない。

 大丈夫?と母から電話があった。

「大丈夫...ではないな。お米は大丈夫そう?」

「うん。今年も綺麗にできとるよ。山が近いから夜は冷えるけんね」

 ただ、猪に入られたので、雨の中、父と田んぼをぐるっと柵で囲みにいったそうだ。

 「無理をしないでね」とみんな言ってくれるし、私も言うけど、無理をせずに夏の畑を管理するのは無理なことだよなと、ふと思った。

 もう無理をしないために近隣の人たちは田畑をやめていったのか。その気持ちも分かった。みんなの無理の上に、私の原風景はあったんだな。

 9月になり、じわじわとメンバーたちが畑に戻ってきてくれるようになった。

 じゃがいも、大根、わけぎ、ニンニク、そろそろ植えないといかんねえと連絡する。

 私たち人間も自然の一部だから、変化する。ずっと健康で、ずっとやる気で、ずっと豊作で、そう願うけれど、そうでないときもあるだろう。

 それでも、畑や種があれば、いつでも作り繋ぐことができる。

 へこたれることも多いけれど、母やいろんな師匠たちのように、少し無理しながらも、時間をかけて自分らしい農継ぎができるといいなと思う。

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本日、ミシマガジンの連載「高橋さん家の次女第2幕」を元にした書籍『わたしの農継ぎ』が、オンライン含め全国の書店で発売となります!!

「まえがき」や「農・土・菌と生きるフェア」開催店、サイン本展開店、久美子さんからの動画メッセージなどは、こちらで公開しております。

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「わたしたちの●継ぎ」というテーマでイベントも2つ開催しますので、奮ってご参加くださいませ。

●高橋久美子×有松遼一「わたしたちの 農継ぎ×能継ぎ ~同い年対談~」

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日時:10/3(木)19:00~
会場:京都・恵文社一乗寺店+オンライン配信

現地申込

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●高橋久美子×白川密成「わたしたちの 農継ぎ×寺継ぎ ~愛媛対談~」

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日時:10/14(月・祝)14:00~
会場:今治ホホホ座+オンライン配信

現地申込

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高橋 久美子

高橋 久美子
(たかはし・くみこ)

作家・詩人・作詞家。1982年愛媛県生まれ。音楽活動を経て、詩、小説、エッセイ、絵本の執筆、翻訳、様々なアーティストへの歌詞提供など文筆業を続ける。また、農や食について考える「新春みかんの会」を主催する。著書に『その農地、私が買います』(ミシマ社)、小説集『ぐるり』(筑摩書房)、エッセイ集『旅を栖とす』(KADOKAWA)、『いっぴき』(ちくま文庫)、詩画集『今夜 凶暴だから わたし』(ちいさいミシマ社)、絵本『あしたが きらいな うさぎ』(マイクロマガジン社)など。

公式HP:んふふのふ 公式Twitter

「高橋さん家の次女」第1幕は、書籍『その農地、私が買います』にてお読みいただけます!

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