第22回
仲野徹と西靖のそろそろ大阪の話をしよう(1)
2019.08.19更新
7月20日(土)発刊から1カ月となる、『仲野教授のそろそろ大阪の話をしよう』(ミシマ社の新レーベル「ちいさいミシマ社」より)。大阪・千林に生まれ育ったお笑い系科学者である仲野センセが、大阪弁、花街、私鉄、食いもん、音楽、おばちゃん、落語、文学、ソース......などさまざまなテーマで、12名の方々と大阪の文化を語り尽くした一冊です。
そして、去る8/4(日)に、梅田にて本書の発刊トークイベントを開催しました。ゲストにお呼びしたのは、「ちちんぷいぷい」のメインパーソナリティーや、報道番組「VOICE」のメインキャスターとして活躍し、いまもお茶の間で強い支持を得る、MBSの看板アナウンサー西靖さん。
終始会場を爆笑の渦に巻き込んだ対談の様子を、2日間にわたりお届けいたします!
(構成:田渕洋二郎、写真:野﨑敬乃)
『仲野教授のそろそろ大阪の話をしよう』仲野徹(ちいさいミシマ社)
それ言われるのが一番嫌やねん
仲野 仲野でございます。
西 西でございます。今日はこんな本のためにね、暑いなかお集まりいただき本当にありがとうございます。
仲野 なんであんたが言うねん(笑)。
西 すみません(笑)。
仲野 『仲野徹のそろそろ大阪のはなしをしよう』、いい本になったでしょ。
西 ほんまにね。でも表紙のタイトルがめちゃくちゃ読みにくいですよね。
仲野 そうですねん(笑)。でもね、これタイトルが金箔できらきらしてるから、ほら、ある角度でみたら、すごくよく見えるんですよ。
西 へえ、ほんまや(笑)。
仲野 デザイナーの寄藤文平さんが、初めて本の帯にまで金箔を使ってくださったらしいんですよ。
西 お金かかってますねえ。
仲野 コストのことは知りません(笑)。
西 本を作る過程はいかがでしたか?
仲野 この本は東海教育研究所の「望星」という雑誌で連載していた「仲野徹の大阪しち~だいば~」が元になっているんです。そのときにもだいぶ赤字入れたはずなんですけど、本にする段階でもけっこう入れましたね。いつも、雑誌のときと本のときでね、気の使い方がちゃうんですよ。
西 どこらへんが違いますか?
仲野 雑誌はすぐみんな捨てるから、あんまり気は使いません(笑)。
西 ひどいこと言いますね(笑)。
仲野 一番直したんは、雑誌の連載のときに編集者さんが書いてくれた原稿の会話部分の語尾のところかなあ。微妙に大阪弁になってへんのですわ。逆にいうと、語尾さえ大阪弁やったら大阪弁っぽくなるような気がします。
西 へえ、そうですか。でも大阪出身じゃないと、なかなか難しいところもありますよね。「ほかす」とか「なおして」とか「ちょける」とかもわからなかったですもん。あと「いちびる」。といっても梅田のイチビル(大阪駅前第1ビル)やなくて。
会場 (静)
仲野 滑ってますやん。まぁ岡山出身やから、しゃあないかなぁ...(笑)。
西 それ言われるのがいちばん嫌やねん(笑)。
仲野 (笑)。もうあんま言う人いませんけど、僕の親世代は「もみない」(おいしくない)とか、「ずつない」(微妙にしんどい)とか言うてましたね。
西 全然わからないです(笑)。
仲野 西くんは大阪弁喋られへんの?
西 もう大阪に来て30年になりますけどね、大阪弁バリバリですわ~、なんて言うたら怒られると思うんですよ。
仲野 そんなことないと思うけどなあ。
西 大阪って基本的にフレンドリーなんですけど、気色悪い大阪弁しゃべることにはめちゃめちゃ厳しいですよ。あと、僕が大阪に来て一番びっくりしたこと話していいですか。阪急の梅田駅って、1階から一気に3階まであがるエスカレーターあるでしょ。あのエスカレーターの長さにとにかくびっくりしたんですよ。これどこまでいくん! って。初めて見たときは本当に衝撃やったんです。
仲野 岡山にはないもんなあ。
西 ないですねえ。僕が小学校4年のころ、岡山駅前に「ドレミの街」という専門店街ができたですけど、そこには外が見えるエレベーターがあったんですよ。それが唯一のエンターテイメントでしたね。
仲野 (笑)。そのエレベーター、ここらへんならフェスティバルホールのが景色ええんでおすすめですよ。今度乗ってみてください。
西 あと岡山だと、ここが岡山です、というのがはっきりと言えるんですけど、初めて大阪駅へきたときにある大阪の方に「ここが大阪ですね」と聞いたら「ここは梅田です」って言われたんです。
仲野 ああ〜。
西 「大阪にはキタとミナミがありまして」と言われて。「そうしたらミナミが大阪なんですか」と聞くと、「いや、ミナミは難波とか心斎橋がありまして」と返される。じゃあ大阪はどこなんですか、と
仲野 それはその人がだいぶ性格悪いだけみたいな気がするけど(笑)、たしかに大阪とは言えへんね。大阪駅は大阪駅なんやし。
石橋阪大下下駅
西 僕が初めて大阪で住んだのが、阪急の石橋駅の近くなんですけど、今度駅名が変わるんですってね。
仲野 「石橋阪大前」になるんでしょ。でもあの駅、全然阪大前ちゃうやんか。10分くらい坂をあがっていかなあかん。フェイクとちゃうんか。
西 まあ、そうですけど、あの駅から一番近い大学は一応、阪大です。
仲野 あれね、阪大と駅の間に「石橋阪大下」っていうバス停があるんですよ。
西 そうですね。
仲野 それやったら駅はそのバス停のさらに下にあるから、「石橋阪大下下」とかが正しいんちゃうん。だから「石橋阪大下下」駅
西 (笑)。さすがにそれはええんちゃいますか(笑)。でももっと正確に言うと石橋駅前にはAIZENっていうパチンコ屋がありますから、石橋AIZEN前とかになっちゃいますよ。
仲野 それ、いまはやりの「ネーミングライツ」いうやつなんちゃう(笑)。
西 ほんまですね(笑)。でも今度梅田駅も「大阪梅田」に変わりますよね。
仲野 そうやねえ。でも阪神も阪急も同じ駅名になるのはあかんのちゃうん?
西 たしかにややこしいかもしれないですね。個人的には、阪急が創業以来109年「梅田駅」という名前だったのに、その歴史を捨てて「大阪梅田」になるのは、阪急がなにかに負けた気がして悔しいんですよ。この本にも『すごいぞ!私鉄王国・関西』を書かれた黒田さんとの対談がありますけど、あの伝統を重んじる阪急が。
仲野 そう言われたら、そうやねえ。
西 鉄道の話でいうと、この間、環状線の201系という全体がオレンジの車両が引退して、いま走っている323系というのは、シルバーの車体にオレンジのラインなんですよ。なんでシルバーにラインになったかというと、ラインはシールですから、めちゃめちゃコストが安いんです。
仲野 たしかに。
西 全部車両が同じ色だと、何年かごとに落として塗り直さなくちゃいけないから大変で。でも阪急は塗らんでもいいのに塗ってるんですよ。9000系とか1000系は。ちなみにうちの息子がもうすぐ3歳になるんですけど、一番最初に覚えたモノマネが、8000系のモーター音でした(笑)。
「んーーーーーー、んんーーーーーー、んんーーーーーーーんんーーーーー」
2歳児がですよ、VVVFやなあ、って言うんですよ。ちなみにVVVFというのはVariable Voltage Variable Frequencyのことで、直訳すると、可変電圧可変周波数のことなんですけど...
仲野 話題変えようか(笑)。
西 (笑)。なんの話やったっけ。そうそう、だから阪急はあのマルーンカラーから、絶対に変えへんわけですよ。それがターミナル駅の駅名を変えるというのは、他人事ながらショックですわ。
この本、さじ加減がちょうどええんです
西 本の話をしましょう(笑)。この本のなにがいいって、大阪の話をすると、ともすると「大阪のおばちゃんはいつも飴ちゃんもってる」とか、「2人寄ったら漫才になる」とか、そういうステレオタイプな話になりがちなんです。そこを避けつつも、でもちょこちょこ出てくるところがいい(笑)。
仲野 やっぱりね、なんぼステレオタイプがあかんいうても、結局は他に話すことないという事情もあって(笑)。
西 そのさじ加減がちょうどええな、って。
仲野 フォロー、ありがとうございます。そういうベタなところもありつつ、でもそれだけではないよ、というあたりを伝えたかったんです。中でも、一番知らんかったのは、北川さんとの対談で聞いた大阪城の話でしたね。今の大阪城の地面って昔の大阪城とはちゃうんですよね。一度埋め立てられてるから。
西 そうですね。
仲野 昔から、「豊臣秀吉が大人気で、徳川はそうでもなかった」と思われてるけど、それは明治以降の嘘らしいんですよ。江戸時代に徳川家光がばらまき政策みたいなことをして、みんな徳川家大好き! みたいなことになったんですって。大阪人は薄情ですから。
西 固定資産税免除、みたいな感じですよね。その家光さんへの感謝の気持ちとして、天満の当たりに釣鐘を作った。だから釣鐘町という名前にもなってます。
仲野 そうそう。
西 そういう大阪の歴史の話もあれば、落語の話だったり、文楽の話であったり。仲野先生はご自身で義太夫もなろうてはるし。
仲野 内田樹先生に、教授になると怒られることがなくなって頭が高くなるから、習い事せなあかん、って言われまして。
西 (笑)。文楽も何回か通っているうちに面白くなってくる、っていいますもんね。
仲野 そうですね。僕も最初見たときは全然面白くなかったですけど、徐々になんかわかってる気になってきて。その「分かっている気になる」というのが奥深くてええですよね。4000円くらいで見れる時もあるし、今月はレイトショーもやってますよ。
西 レイトショー! その呼び名でいいんですかね(笑)。あとなんといってもキダタロー先生のところも最高でした。
仲野 音楽のことはあまり詳しくないんですけど、唯一知ってるのは服部良一先生の名前くらいで。というのも服部先生の妹さんがうちから歩いて25mくらいのところで「おきく」っていうお好み焼きやってたんですよ。
西 へえ!
仲野 それで服部良一のことだけはめちゃめちゃ調べていったら、キダ先生も「大阪といいったら服部良一です」って。
西 良かったですねえ。キダさんは浪花のモーツアルトと言われて、ちょっと頑固なイメージもありますけど、ほんとう優しい方ですよね。
仲野 そうなんですよ
西 お会いした時に、これまで何曲くらい作曲されてきたんですか、と伺ったら「覚えてへん」って(笑)。
仲野 そのへんの気取りのなさがよかったです。だけど、ヅラかどうかは聞けなくて、それが唯一の心残り。
西 聞かんでいいでしょ(笑)。
(2日目のつづきは、こちら!)
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【会期】2019年8月21日(水)〜10月14日(月・祝)
【場所】スーベニアフロムトーキョー(国立新美術館 地下1階
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