第111回
小山哲×藤原辰史「中高生と考える 戦争・歴史・ウクライナのこと」後編
2022.08.23更新
2022年8月1日、『中学生から知りたいウクライナのこと』の刊行を記念して、著者の小山哲さんと藤原辰史さんによるイベントを行いました。
タイトルは「中高生と考える 戦争・歴史・ウクライナのこと」。この本をきっかけに、歴史の学び方や戦争との向き合いかたを、できるだけ幅広い世代のみなさんと考えたいという願いを込めています。当日の会場には、実際に、小学生から大人までが集まってくださいました。
なぜ、日本の歴史教科書にはウクライナのことが載ってないの? 暗記ばかりの歴史の授業は、どうしたら面白くなる? 今回の戦争をふまえ、日本国憲法をどう考える? ・・・暮らしの足元にとどまってじっくり考える、特別な時間となりました。その模様を3日間にわたってお届けします。
(構成:角智春、校正補助:大堀星莉、西尾晃一)
「普通の暮らし」が破壊された?
三島 先生方、ありがとうございました。それでは、質疑応答に移りたいと思います。ご質問のある方はいらっしゃいますか。
――『中学生から知りたいウクライナのこと』を読みました。そのなかで、小山先生や藤原先生たちのグループ「自由と平和のための京大有志の会」が発表した「ウクライナの人びとに連帯する声明」に対して、批判が出たというお話がありました。「普通の暮らし」が破壊されたことを非難します、という表現が不適切だという批判だったそうですが、なぜでしょうか。きちんとわからなかったので、あらためて教えていただきたいです。
※編集部より 声明文の一部を引用します。
私たちは、ロシアによるウクライナの侵略を、ロシアがどんな理由を掲げようとも、強く非難します。
朝、ベッドのうえで目を覚まし、昼、学校で学んだり職場で働いたり、夕方、家に帰って家族と食卓を囲んだり、街へ出て友人や恋人と遊んだりしたあと、夜、静かに眠りにつく、そんなウクライナの大人や子どもの普通の暮らしを一方的に破壊したこと、爆撃によって家を失い、警報が鳴るたびに地下鉄の駅に避難し、不安と恐怖で眠れない夜を過ごさなければならない状況を生みだしたことを、非難します。
――「ウクライナの人びとに連帯する声明」より
藤原 プーチンがウクライナを攻めたことによって、ウクライナで普通の暮らしが奪われてしまったことを、私たちは非難しました。たとえば、ご飯が食べるとか、ベッドの上で寝るとか、友人と恋人とどこかに出かけるとか、そういう日常にあるものがある日突然奪われるというのは、この戦争のひとつの現象として、許されないことです。
それに対して、ウクライナで、私たちが言うところの「普通の暮らし」をしていない人だっているのではないだろうか、あるいは、なぜ私や小山さんが「普通」という水準を勝手に決めるのか、という批判をいただきました。
私はこれをとても重い批判として受けとめ、ひとつのお答えとして、本書の第五章で、日常の「構造的暴力」について書きました。ウクライナの「普通の生活」というとき、その「普通」というのは決して、不自由のない幸福な暮らしだけではないからです。
ウクライナはヨーロッパのなかでも、最低賃金の非常に低い国で、ヨーロッパじゅうの国が企業をもってきて、安い賃金の人たちを雇ってお金を儲けるということをしてきました。あるいは、女性たちを性奴隷として人身売買が行われる地域でもあります。
そのような「日常の暴力」というべきものが存在しています。難しい言い方ですが、日常の暴力のことを、戦争でもたらされる直接な暴力と区別して「構造的暴力」といいます。たとえば性差別はその代表例です。そういう日常を見失わないでいたいと思い、私はあらためてウクライナの現状を調べて、第五章を書いたという経緯がありました。そして、これが重要なのですが、戦争はその構造的暴力を解決することはほとんどありません。むしろ、その暴力を拡大させます。戦争は弱い立場にある人に向かって、よりいっそう牙をむくものであることは、二つの大戦からユーゴ内紛を経てイラク戦争に至るまで、一つの事実だと思います。
小山 2月24日に戦争が始まってすぐに、私たちは議論してこの文章を作り、HP上で発表しました。
下書きの文章は私が書きました。「普通の暮らし」という言葉も私が書いたんですね。批判をいただいて読み返したときに、私が意識できていなかった問題があったことに気がつきました。この文章では、戦争がなければこういう日常が続いていたんじゃないか、という私のイメージを言葉にしているのですが、そのときに私の想像力の及ぶ範囲が狭かったのだと思います。
私たちの生活って、幸せに過ぎていけばいいんですけど、決してそれだけではないですよね。幸せじゃない日常も含めて、戦争というものによって暴力的に中断されてしまう。それはすごく不条理で、自分とは関係のないところで物事が決められ、破壊されていくわけです。その不条理さを非難する意思は私のなかで揺らいでいないのですが、自分のイメージの作り方が偏っていたことは認めざるをえないと思います。
(左:小山哲さん、右:藤原辰史さん)
「忘れてはならないこと」を押し付けられていないか
三島 ほかにご質問はありますでしょうか。
――『ウクライナのこと』を読み、パレスチナ研究者の岡真理さんが「日本の人びとはガザに対して、ウクライナに抱く関心の1割も抱きません。(・・・)命はぜんぜん平等じゃありません」(142頁)とおっしゃったという話が印象に残っています。
ウクライナでの戦争は今起こったばかりのことなので、連日メディアで取り上げられています。でも、やはり時間が経ってしまうと風化されてしまうことがあるのも事実で、ウクライナのこともいずれは話題に上がらなくなるんじゃないかと思います。
藤原先生が「はじめに」で、「歴史を研究する職種の資格は、『忘れない執念』ただひとつ」(4頁)と書かれていたのも、ものすごく印象に残りました。
どうしたら、いろいろな場所で起こっている戦争や問題を置き去りにしないでいられるのか。答えが出せないのですが、お二人のお話をお聞かせいただけたらと思います。
藤原 岡さんは京大有志の会のメンバーで、命を平等に扱わないメディアの状況について、問いを投げかけておられました。パレスチナのガザ地区では、イスラエル軍による国際法違反がずっと続いていて、壁が造られて、薬も届かない状況で何年間も包囲され、海も汚され、地下水も汚され、空爆も繰り返されている。それにもかかわらず、ウクライナ侵攻ほどの大きなニュースになりません。
私たちがしなければならないのは、いま「忘れてはならない」と思っていることは何かを考え、そして、それが上から(メディアから)押し付けられた、作られた物語ではないだろうかと疑うことだと思います。
私がいつも大学で学生に教えるのは、あなたたちをだまそうとする大人がものすごくたくさんいるので、だまされないようにしましょう、ということです。
たしかに今回のウクライナのことは、私もずっと忘れないで、何年経っても語りつづけようと思っています。その一方で、選択的に語り継がれていないパレスチナやミャンマーの問題を、なぜ世界のメディアが取り上げなくなったのかということも含めて、きちんと語り継いでいきたいと思います。ウクライナのことを忘れないぞ、というだけではどうにもなりません。世界や日本のメディアが、何を忘れてもよくて、何を忘れないでおこうと決めているか。それを疑ってかかることは知的なあり方だと思います。それは、私のように食を研究している人間にとっても重要なことです。小山さんがバルシチを最初に持ってこられたように、ウクライナ、パレスチナ、ミャンマーにはそれぞれ地域の食文化があります。
そういう意味で、「忘れない執念」というのは、たんにいつまでも覚えておくというレベルではなく、情報の偏り方を批判的にみていき、文化のあり方を考えましょうという問いかけのつもりです。
小山 命が全然平等じゃないという問題は、今回のウクライナの戦争に即して考えても、私たちのすぐそばにあります。
ウクライナから逃れてきた人について、いま日本は「避難民」という特別なカテゴリーを作って受け入れていますね。でも、それ以前にも難民申請をして、ぜんぜん受け入れられずに、長いあいだ苦しい状況に置かれてきた人がたくさんいます。
いま難民をたくさん受け入れているポーランドにも、同じような問題があります。ウクライナからの難民は受け入れるけれど、それ以前に中東から来ていた難民については国境警備隊が追い返していました。
今回の戦争は、いろんなところで起こるダブルスタンダードを私たちが知り、問題だと認識するひとつのきっかけにもなっていると思います。
それでも戦争に反対する意味は
三島 それでは最後の質問にしたいと思います。
――戦争を目の当たりにし、メディアでも軍備増強の必要を訴える人が多いなかで、憲法九条はこのままでいいのか、という疑問を持ちはじめました。
「平和」を求め続けても無力感がぬぐえないのですが、それでも戦争に反対することの意味はどこにあるのでしょうか。
藤原 このご質問は事前にいただいていたこともあって、電車の中でもずっと悩んでいました。
小山さんともよく話すのですが、歴史学を研究していると、戦争のなかった年はほとんどないんです。歴史のテストでは、ギリシャ、ローマ、中国の紀元前の時代から「〇〇戦争」って答えさせる問題がいっぱい出てきますよね。戦争だらけなんです。
そしてまた、ウクライナの侵攻が起こったというときに、歴史学者は「ああ、また同じことがくりかえされている」という思いについなってしまう。人間は進歩しないなあ、という結論に陥ってもおかしくはない。でも、我々はそうはなりたくありません。
戦争は起こる。たしかに同じようなことがくりかえされている。しかし、戦争というものは、さきほどの大岡昇平の言葉にあったように、私たちの抑え難い本能、たとえば性欲や食欲と同じようにどうしても抑えられない欲求ではない。私たちの論理や、話し合いや、言葉の積み重ねによって戦争が生まれているならば、私たちの論理や言葉の積み重ねによって戦争にブレーキをかけることも可能なはずです。
しかも、私たち歴史学者は論理や言葉を仕事にしています。言葉を研究して、言葉を積み重ねている以上、無力感に苛まれるなかでも、なんとか言葉を表明したい。そこに反対する意味はあると思うんですね。
それとともに、これから憲法の議論がどんどん盛んになってくると思います。憲法九条のなかには、ひとつ、忘れてはならないけれどあまり議論にならない言葉があるんです。それは「威嚇」という言葉です。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
九条は交戦権を否定していますが、威嚇もだめだと宣言しています。つまり、巨大な核兵器を持っていること自体がだめということです。あるいは、経済制裁することも「威嚇」に入るかもしれない。
1945年に戦争にボロボロに負けたあとに、そういう想像力が憲法によって築かれたということですね。だとすると、私たちは憲法をまだ使いきれていない。それにもかかわらず、簡単にこれを捨て去ることはよいことなのだろうかという疑問があります。
瀧本邦慶さんの言葉
藤原 それから、僕はじつは九条より前文のほうが好きなのですが、前文では、国際社会は平和を求めていて、そういう社会の中で日本は名誉ある地位を占めたいと言っています。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。
すごくテンションの高い言葉遣いですね。「名誉ある地位を占めたい」なんて、私は日常生活で言ったことは一度もありませんが(笑)、でも、この力強い言葉の背景には間違いなく、1945年8月の時点で、日本社会、そして、日本が攻めた中国、東南アジアの国々で結局口を奪われてしまった、戦争で亡くなって何も言えなくなった人たちの無念が積み重なっています。戦争というのは、死んだ人によっては語り継がれません。亡くなっているわけですから、死によって口は封じられています。そういう人たちの思いを、偶然にも生き残った人びとがああいうかたちで残したわけですね。
以前、ミシマ社と小山さんと私とで、海軍の兵士として戦場に送られ、トラック島で餓えの経験をした瀧本邦慶さんという方をお呼びして、お話を伺ったことがあります。瀧本さんは、大切な仲間が目の前で命を落としていくなかで、自分が生き残ったのは偶然だとくりかえしおっしゃっていました。
「こんな奇跡考えられません。だからね、わたしはいま自分の力で生きとるとは全然思ってないんです。なんの力かわからんけど、何かの力によってわたしは生かされとると思うんですわ。だから生かされたものの責任として少しでも戦争の実情をお伝えするのが私の仕事やと思ってます。生きてる間の仕事はこれしかないと思いまして、語り部をやらせてもらっております。」
――みんなのミシマガジン「〈戦争できる国〉にしないためのちゃぶ台会議 戦後70年、元海軍兵の言葉を聴く」より
▲瀧本さんのお話はこちらからお読みになれます。肉声音源もお聴きいただけます。
ぜひ、その語りに直接触れていただきたいです。
憲法の前文を読むたびに、瀧本さんのあの感じを思い出します。そして、歴史研究者を名乗る自分たちがあのような方々の存在を無視するのはちょっとありえないだろう、という思いがあります。繰り返し襲ってくる無力感は拭えないけれど、しかし、やはり諦めてはいけないと思っています。
(瀧本さんの語りを聞いた方が残したメモ)
お花畑ではなくて、焼け野原だった
小山 憲法九条を批判する人たちが使う表現のなかに、「九条を守って平和を貫くと主張する人たちは『お花畑』だ」、というものがありますよね。
私は、憲法九条の成り立ちを考えれば、その表現はすごくおかしいと思います。
九条が生まれ、国民に受け入れられたときの日本は、お花畑ではなくて、焼け野原だったのです。
今よりももっと身近なところに戦争があった、それを身に染みて体験した人たちが、憲法九条を受けとめて守ってきたわけですよね。私たちは九条について考えたり、議論したりするときに、そのことを思い起こさなければならないと思います。
もちろん私も含めて、いまは焼け野原を体験したことのない人がほとんどです。日本は敗戦したときどういう状況だったのか、また、憲法が制定されたときに日本国民の受け入れ方がどういうものだったのかということを、歴史をふまえて勉強をする必要があると思うんですね。
九条の問題はいろいろな場で議論されていくと思います。でも、ウクライナで戦争が起こっているから軍備を増強すべきではないか、九条を変えたほうがいいんじゃないか、という論理自体が、歴史をまったく踏まえていない議論の立て方だと私は思います。ウクライナの戦争よりももっと近いところに戦争があったときに、憲法は作られたんです。それがお伝えしたいことのひとつです。
それから、戦争は起こってしまったら簡単に止めることができないということを、私たちはウクライナの現状から学ぶべきだと思います。起こったらだめなんです。じゃあ、東アジアで、日本を含めてそういう状態を生み出さないためには何が大事なのか。これを必死に考えなきゃいけないと思います。
憲法を変える以前にやらなければならないことがあるんじゃないでしょうか。たとえば、日本の首相は、韓国や中国へ行ってその国のトップと会ったり、あるいは彼らを日本に招いたりして、ふつうに向き合って話すということができていないですよね。それがなんとなく当たり前のことのように受け止められているけれど、全然当たり前じゃありません。
フランスのマクロンは、戦争をやっている最中にでもプーチンに会いにいくじゃないですか。それが外交ですよね。そういう努力を日本という国家はしているでしょうか。まずそこからやるべきなんじゃないですか。憲法を変えればそれができるんですか。もっとできなくなるんじゃないでしょうか。
憲法をどうするかは難しい問題です。でも、私は、戦争しないことを維持するために何が必要なのか、その優先順位というのをもっときちんと考えなければならないと思っています。
三島 先生方、ありがとうございました。ひとつひとつ言葉を重ねていただき、最後は九条について本当に重いお話をいただきました。今日の先生たちの言葉を、自分たちのこととしてしっかりと受けとめて、これからの日々にも生かしていきたいと私自身も思っています。ご参加くださったみなさまも、ありがとうございました。
(終)