第83回
ドミニク・チェン×安田登「これからのクリエイティブには「三流」がいる!」(1)
2021.10.25更新
『三流のすすめ』の刊行記念として、これまでいとうせいこうさん、そして平川克美さんと対談をしてきた安田先生。3回目となる今回は、対談相手にドミニク・チェンさんをお招きしました。情報学者でありつつ、「クリエイティブ・コモンズ・ジャパン」を設立したり、文学全集を編んだり、とまさに「三流人」であるドミニクさん。実は安田先生に謡を習っており、「師弟関係」でもあるんだそう。
そんなお二人が、それぞれの「三流」エピソードから、教育の話、さらには三流人に欠かせない「型」の話まで、三流らしくあっちこっちにとびながら語り合いました。その対談の一部を2日にわたって掲載いたします!
構成:田渕洋二郎
ブレーキをかけながら自転車を漕いでるようなもの
ドミニク 『三流のすすめ』のなかで、安田さんご自身が、『人物志』と出会われて、自分を全肯定されたと書かれていたんですけど、私はこの『三流のすすめ』を読んで、自分が全肯定されたなと思いましたね。
「一流の呪い」というような強迫観念みたいなものって多くの人が持っている気がするんですが、それが薄らいでいくような感覚でした。自分のまわりの学生たちにもこれからどんどんこの本を進めていきたいなと思ってます。ちなみに、この本を今このタイミングで書こうと思われたきっかけはありましたか?
安田 僕のまわりにも「一流にならないと」という呪縛に苦しんでいる人がかなり多かったんです。彼らは、ブレーキをかけながら自転車を漕いでるようなもので、汗水たらして一生懸命やってるんだけれども、全然進まない。だから、まずはブレーキを外すのが最初。一流を目指すのをやめるとブレーキが外れて、自然にすいすい進めるんです。
ドミニク 私は大学の教員をしているんですが、学生も「何者にもなれない自分」に悩んでいる人が多いんです。僕からするとそんな若くして何者かになる必要もないと思いますし、何より安田さんが能の話をされる時の「50歳、60歳はまだ若手で、70歳で一人前、80歳で脂が乗ってきて」というエピソードに解放感を覚えましたね。それくらいの時間感覚で、いろいろやってみたらいいな、と。
安田 そうですね。中国の詩人はなんでもやってますからね。蘇軾などは文筆家でもあるし、政治家でもあるし、堤を作ったりと、土木もやってます。高校時代は漢詩を作っていたのですが、大学に行ったら作った詩はちゃんとした字で書かなければならない、と知った。だから書を学ぶ。さらに漢詩の横には絵を描かなくてはいけない。だから詩人は最低、画家でもあり、書家でなくてはいけない。
ドミニク そうですね。フランスのグランゼコールには「polytechnique」という学校があり、理工系の最高峰の教育機関ですけど、日本語に直訳したら「多芸」になりますよね。安田さんの本は、国を治める人こそ一流でなくて三流になるべきだと書かれてますけど、昔はそうだったという話だけではなくて、現代に対する提案でもあるわけですよね。
遅刻は天命
ドミニク この本では、忘れっぽいとか、あきっぽい、ものにならない、という一般的にネガティブなことが、新しい行動の原動力になるというのも面白かったです。
安田 そうですね。何かするときは、まずぼんやりするんです。「新しいこと思いついてやろう」ということは絶対に考えない。ぼんやりしていると次にすべきことが見えてくる感じがします。
ドミニク それはどういうことですか。
安田 空洞をつくるというか、何かが入ってくるためには自分が空虚じゃなきゃ入ってこないでしょ。「自分が何かをしたい」というときは、自分自身が満ちてしまっているので、何も入ってくる余地がないんです。飽きるとか退屈するという意味の「boring」には、「穴を開ける」という意味もありますでしょ。だから空洞をつくらないと、次のおもしろいことは入ってこないんです。
ドミニク 面白いですね。あと安田さんをみていると、「反省会」をしないのもいいですよね。でも思えば「反省」というのも、改善点を見つけてブラッシュアップしてより良い、前に進むという発想に基づいてます。これは非常に近代的な発想ですよね。ある種、人間は強い意志を持っていて、頑張るんだみたいな。先ほどのブレーキがかかりっぱなしでも漕ぐんだ、みたいな精神論かもしれないですね。
一方で、自然とわき起こるアイデアであったり、何かが発酵するするのを待つという行為は、自分という主体を信用しすぎない姿勢ですよね。ある意味、他力本願にも近いような。
安田 そうですね。能の先生は稽古のときには異常に厳しかったのですが、舞台後は失敗しても何も言わない。言っても仕方ないですからね。あと、うちの一座(通称:ノボルーザ)には、遅刻する人が多いんですけど、誰も遅刻した人を怒らないんです。
それは、遅刻する人を叱って、遅刻しないようになることもあるかもしれないけれど、その人はその共同体において遅刻しなくなるだけなんで、決して、「遅刻しない人」にはならない。それと遅刻するというのも、本人の意志だけではどうしようもない、ある意味「天命」のようなものですから、それよりも遅刻しても問題が起きないように対処できるような臨機応変の力を身に付ける方が大切だし、楽しいです。
ドミニク コミュニテイのなかでそういう空気感があると、その人の価値観も変わっていきますよね。この本に書かれていた、「評価を気にしない」というのも、安田さんの薫陶をメンバーも受けてそうなった、という共同体の力がありそうですね。
安田 そうですね。公演が終わったあとのアンケートは取りませんし、感想も進んでは聞かない。人には好き好きがありますから、お客さんも自分が好きな舞台だけ行けばいいわけで、あらゆる人に来てほしいというのはむしろ傲慢です。メンバーも最初は、評価を気にする人もいたのですが、だんだん気にしなくなっていきました。
ドミニク 「心理的安全性」という言葉もありますけど、その組織や集団では、安心して失敗について語ることができるみたいな感じですね。この本を読んで、楽になる人もすごくたくさんいると思いますし、社会全体でそういう空気感を出せるような場を作っていくことが大事だと思いますね。
学生と話していても、就職をすると一生が決まってしまう、と思ってしまう人がいるんですが、我々三流人的には仕事に飽きたらやめればいいし、そう思える人が周りに増えればいいですね。