第173回
『RITA MAGAZINE』発刊特集 伊藤亜紗×中島岳志×北村匡平×塚本由晴×山本貴光「利他をつくる/つくるの中の利他」(3)
2024.04.12更新
2月に発売となり、好評いただいている、『RITA MAGAZINE テクノロジーに利他はあるのか?』。
3月2日に、本書にも収録されている「利他学会議」の2024年の回が開催され、その分科会のひとつで、本書をめぐり、上記5人の先生方によるトークが行われました。
お話は、まさに『RITA MAGAZINE』の続きのよう。結論ありきではない中で、どんどん話がリンクしドライブし、旋回して、着地しそうになったかと思いきや、また飛ぶ、という縦横無尽の展開。これはもうぜひ、要約したりせずに、このうねりのままにお届けしたい! ということで、ここから4週連続、全19000字でお届けいたします。
『RITA MAGAZINE』をすでに読まれた方にも、これからの方にも、お楽しみいただけたら嬉しいです!
第1週 何かを意図して設計し、意図せざる者と出会う
第2週 どうやったら時間の帝国を崩すことができるか
第3週(本日) 「いる」ことと「する」こと問題
第4週 制度に取り込まれていくテクノロジーに利他はない
なお、ウェブでたくさんの文字を読むのがつらい! という方には、「2024年のいま読みたい、利他の本」フェアを開催いただいている書店にて、トークの一部を収録したフリーペーパーを配布しています。よろしければ、そちらもどうぞ。開催店舗の一覧は、記事の最後「編集部からのお知らせ」に掲載しています。
(構成:星野友里)
3 「いる」ことと「する」こと問題
塚本 もう一つ言うと、放課後というのが、大事だと思うんです。私は1965年生まれですが、学校生活で覚えてるのは、放課後のことだけです。今、東工大の付属高校のキャンパスを移すための設計を終えたところなのですが、高校の先生たちのほうからの話は「この部屋がこれぐらい必要です」であるのに対し、私はひたすら放課後のことばっかり提案してました(笑)。
高校の先生は、まずは目的の中で発言することを使命に感じていて、放課後について自由に話せる余白がない。たぶん皆さん、楽しい放課後を過ごしてきたからこそ、高校の先生になったんじゃないかと思うんですけど。最近子育てしてる人たちに聞いてみると、今は、放課後クラブというのがあってサービスを受けるような形になっていたり、塾や習い事に行ったり、放課後が大人の世界へと組み込まれていっている。あの自由な放課後はどこいったのかというのが、最近私が非常に愁いていることなんです。
学校建築は今までにも多くの人が研究しているんですけど、放課後の研究はなさそうなのでやってみたいなと。放課後を作り出すために1時間だけ授業やる学校とかも面白いんじゃないか。さっきの羽根木プレーパークも、放課後の話ですよね。
北村 学校帰りに集まって遊んでいる小学生が多いですね。公園の調査をしていても、目的が非常に明確な遊具ばかりになっているんですよね。建築家の青木淳さんが『原っぱと遊園地』という本を書いておられたのですが、子どもは本能的に原っぱを好んで遊んでいたと。それは野球とかドッジボールとか、何かの目的を持って行く場所じゃなくって、とにかくそこに行ったら、何をして遊ぶかを決められる特別な場所だった。その対極にあるのが遊園地で、ジェットコースターなどは、それに乗る遊び方しか許されていない。そう考えると、今の公園の遊具のあり方は、すごく遊園地化しているんじゃないかなと。
『RITA MAGAZINE』より、北村匡平さんレクチャーのページ
中島 放課後という時間的余白と、原っぱという空間的な余白があった時代。そこにおいては、自分たちでそこにどういうものを設定するのかという、想起する力が、我々の側に与えられていたということだと思うんですね。この『RITA MAGAZINE テクノロジーに利他はあるのか』という本の、一つのポイントは、この想起する力だと思うんです。
最初に出てくるOriHime(オリヒメ)というロボットは、障害とかいろんな事情があって外出できない人が操作をするのですが、このロボットには表情がないし、実際に操作している人と対面していないにもかかわらず、このロボットを通じて存在が触れ合う瞬間を我々は感じた。それは、我々の側に、想起する力が発揮された瞬間だった。なんでもかんでもテクノロジーがやってくれるんじゃなくて、ある種引き算をされたテクノロジーによって、私達の力が、その余白から引き出されていく。それが面白いところだと思うんです。
あるいは落語もそうですよね。1人で何の舞台装置もないところで、座布団に噺家が1人座ってしゃべり始めると、情景が浮かんでくる。立川談志はそれを「江戸の風が吹く」という言い方をしていますが、そういう想起する力を、テクノロジーとの関係でどういうふうに考えたらいいんだろう、というのが、利他の問題と関わってくると思います。
『RITA MAGAZINE』より、OriHimeの実験をする伊藤亜紗さん、さえさん、砂連尾理さん
伊藤 ちょっとあえて反論というか、違う視点で話を受けると、今の放課後の話とか余白の話は、動詞で言うと「する」と「いる」の、「ただそこにいる」のほう、ということだと思うんですよね。私たちはつい目的を持って、遊園地的に生きてしまうし、余白を埋めてしまうんだけど、そうじゃなくって、ただそこにいるということが利他につながるんじゃないか。
そうは言っても、大人になった私たちにとって、ただそこにいるって、すごくしんどい。東畑開人さんという心理士の方が、『居るのはつらいよ』という本を書いているのですが、その本の中では、介入して病気を治していく「キュア」に対して、ただそこにいる「ケア」は、病気を持ったその人の全体性に寄り添っていくことだとされていて。東畑さんはずっと都会で育ってきて、沖縄の施設に就職をしてそこでひたすらケアをするんだけど、1日何もすることがなくただそこに一緒に寄り添っている、それが、どんだけしんどいかっていう話なんですよ。私もけっこう、「いる」のはしんどいし、人が3人とかいると、ついサービス精神で話してしまったりして、やっぱり「いる」力が低いなって思うんですよね。
最近、東南アジアのケアの実態について調査するプロジェクトをやっているのですが、たとえばインドネシアなんかに行くと、日本のようにいろんなシステムがしっかりしていないので、何か問題が起こったら、全部自分たちで解決しなきゃいけない。道路が壊れたら町内会単位で直すとか、誰かが病気になったら、町内会単位でお金を出し合って病院に連れて行く、みたいな世界なんですよ。
熱帯の気候なので、建物の外と中の中間領域みたいなところがとても心地よくて、とくにジョグジャカルタのような、わりと伝統的な街では、そういうところに何にもしていないおじさんが常にいっぱいいて、周りを常に見ていてケアの担い手になっている。一方で、ジャカルタに行くと都会なので、そういう人がまったくいなくなって、みんなスマホを見ているような、東京と同じ景色になっている。それでいうと、ジョグジャカルタの人は「いる」のがつらくない人たちなんですよね。
でもそれは、前近代的なまったりした時間ていいよね、という話ではたぶん終わらなくて、近代化した社会にもうどっぷり浸かっている私たちが、どうやったらもう1回、「いる」ことが可能になるのか、というのがすごく気になっています。
塚本 ああ。それはけっこう建築の問題でもあるんですよね。屋根がかかっていて半分外で、誰でも入れて、ご飯を食べてもいいし、ただボーッとしててもいい、という空間は、世界中にあって、そこはもう暇人のたまり場なんですよ。日本で言えば縁側だけど、日本の縁側はあんまり公共空間に面していないのが、他の国と違うところです。
暇人がいにくいのが東京ですよね。大手町とか、素晴らしいエリアマネジメントだって褒めそやされてますけれども、どこにも暇人の居場所がない。スーツ着てカツカツ歩いたり、お金払ってカフェ行ったりしなきゃいけない。すごくせわしないんですよね。
それはケアの問題にも通じていて、たとえばオーストラリアのブリスベンには、クイーンズランダーという住宅の形式があって、建物の周りをぐるっと外部空間が取り巻いていて、リタイアしたおじいさんなんかが毎日そこにいて、道を通る人におはようとかこんばんはとか言っている。それで、たとえば3日4日「あのじいさん見ないな」とかなると、ちょっとみんなが心配になって家のドアをノックしに行くなんてことが自然に起こる。
日本では、そういう社会的な意味での半外部空間というのが、位置づけられてこなかった。近代化都市化の過程で縁側や軒下がなくなるのなら、別の形態でそういう場所を入れていかなきゃいけなかったんですけど、全然できなかった。東工大キャンパスのプロムナードに面してカフェがありますが、ひさしのある場所がなく、ただポンと鉄の机と椅子が置いてあって、まったくウェルカムな感じになっていない。半外部の空間があれば、ものすごくいい場所になるんですけどね。ああいうのもやっぱり、我々が居る文化としてうまく組み立てられてこなかったことの表れだと思っています。そういう場所を増やすことは、今からでも可能だと思います。
中島 いることとすること問題について、これは戦後民主主義の最大の問題だったんですね。丸山真男という戦後最大の政治学者が、「『である』ことと『する』こと」という非常に重要な文章を書いています。丸山は「自然」と「作為」という二分法を重視しました。「大東亜戦争」に至るプロセスの中で、日本人は主体的な決断ができず、明確な反対もできず、ズルズルと流されていった。それでは駄目なんだと。
つまり決断をして自分で意思を持ち、何かを選択し、そのことには責任が伴うということを引き受ける人間こそが、戦後民主主義を引き受ける人間だから、そういう人間を作らないといけないんだと、丸山は考えた。けど、この人間像に、かなり無理があったんじゃないかと僕は考えているわけなんです。
もちろん丸山さんが言う人間モデルは、近代国民国家における様々なシステムの前提になっているので、何も意味がないとはまったく思わないんですけども、しかしこの人間観の行き過ぎが、現代の自己責任論とかの問題につながってるのは間違いない。なので、戦後民主主義を支えてきた人間モデルをどういうふうに少しずつずらしていくのか、というのが今問われているんだと思うんですね。
『思いがけず利他』という私が書いた本の中では、それをインドの与格を使って説明しました。今の人間はどうしても「私が」という主格でものを考えている。それに対してインドの文法構造の与格は、「私に」で始まる構文なんですね。「私が誰かを愛してる」んじゃなくて「私にあなたへの愛がやってきてとどまってる」。私は器のようなものであって、そこに何かがやってきてとどまっている、そういう人間像が、古い文法の構造には大きな領域としてある。
それがどんどん追いやられて、主格の人間観でやっているいろんな歪みが現代社会の中で噴出していると思うんです。人間の力が過度に大きくなりすぎて、自然のあり方を根本的に破壊しようとしている「人新世」においては、主格と与格のバランスをどうやって取り戻すのかが問われていると思います。
山本 今の話をちょっと矮小化してしまうかもしれないんだけど、東工大生、とくに新入生たちと付き合ってみて痛感するのは、受験という目的に向けて、何が役に立つかということにすごく敏感だということです。それと裏腹に、役に立たないように思えるものはすべて捨て去って省みない。そういう生き方を、その年齢でもう身につけてしまっているわけですね。中島さんが指摘してくださった戦後民主主義の、悪い意味での合理化のなれの果てのようにも思います。
最近、國分功一郎さんが『目的に抵抗する』(新潮新書)という本を書いておられましたね。目的を設定して物事にとりくむとうまく行く場合もあれば、他方それではうまくいかない場合もある。なんでもかんでも目的に向かって最適化して済ませようと考えるとおかしなことにもなる。そういう事の次第を、せめて受験をするぐらいの年齢で、わかっていたい。そのためにも、塚本さんがおっしゃった、放課後という時間を取り戻すというのは、冗談ではなくとっても重要なことで、建築を通じてぜひ実践していただきたいなと思いました。
伊藤 さっきのインドネシアの話につなげると、インドネシアって、セブンイレブンが1回進出したんだけど、撤退したんですよ。なぜかというと、セブンイレブンの中が涼しいから、みんな中で待ち合わせとかをして、コーラ1本で一日中粘ったりするから、商売あがったりで。それって、本人たちは全然意識していないし、目的としていないんだけれども、資本主義的なものに対する排斥になっていた。
山本 それはさっきの、暇人の居場所という話にも重なりそう。皆さんの話を聞きながら思い浮かんだエエ加減なことですが、Twitter(現X)に日本語利用者のアカウントがやけに多いのは、ひょっとすると暇人が過ごせる物理空間がなさすぎるからではないか(笑)。それがいいか悪いかはまた別問題なんだけど、暇人がどう過ごせるかというのは、かなり重要な問題ですよね。
塚本 私よくちょっと打ち合わせの時間に遅れちゃったりするときがあるんですけど、心の中では、「Time is Mine」って言ってるんですよ。「Time is Money」じゃなくてね。なんかマルクスも似たようなこと言ってたような気がするんですけどね。
(「4」につづく)
*続編「4 制度に取り込まれていくテクノロジーに利他はない」は、4/19(金)に公開予定です。どうぞお楽しみに!
編集部からのお知らせ
「2024年のいま読みたい、利他の本」フェア&フリーペーパー展開店
全国の書店で、「2024年のいま読みたい、利他の本」フェアを開催しております。
本記事のトークの一部を収録したフリーペーパーも、4/2頃から配布予定ですので、ぜひお近くのお店に足を運んでみてください。
いつ誰が困りごとを抱えることになるかわからない、いま。そんなときに、「社会的な役割」をはずして、人間としてどう振る舞うのか、を考えるための道具が「利他」という概念だと、伊藤亜紗さんは書かれています(『RITA MAGAZINE テクノロジーに利他はあるのか?』まえがき)。
ミシマ社では、数年前から、何冊かの利他にまつわる書籍を発刊してきました。今回のフェアでは、「利他」に興味はあるけれど、どこから入っていいわからないという方々に向けて、最新刊を含めた5冊をまとめて、それぞれの紹介ポップと合わせて展開いただきます。
【展開店】
三省堂書店 札幌店
紀伊國屋書店 札幌本店
あゆみBOOKS 仙台一番町店
紀伊國屋書店 新宿本店
くまざわ書店 武蔵小金井北口店
丸善 多摩センター店
オリオン書房 ノルテ店
パルコブックセンター調布店
東京大学生協 駒場書籍部
ANGERS ravissant 神田スクエア店
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